『ウェイン・ショーターの部屋』(http://www.bekkoame.ne.jp/~echika/wayne/wsindex.html)の別館です。


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役に立たないジャズ入門・4

(役に立たないジャズ入門・4)

■ぼくがジャズを聴きはじめた頃2 〜 セロニアス・モンク



 ぼくがジャズを聴き始めた頃の話を続ける。

 そんな訳でジャズを聴きはじめたぼくは、なんだかわからないながらも、限られた予算内でできるだけいろんなものを聴いてみたいと思い、レンタル店や中古屋などで安いCDを見つけては手あたり次第に聴いてみていた。
 そんななかでぼくがジャズを聴き始めて最初にハマッたのはセロニアス・モンクだった。
 最初に聴いたCDは、単に中古屋で安かったという理由で、チャーリー・ラウズ入りのクインテットのアルバムだ。ラウズ入りのモンクはジャズ本ではまず取り上げられないが、当時のぼくはとにかく安い予算でできるだけたくさんの有名ジャズマンの演奏を聴いてみたいと思っていたから、安さだけで選んだわけだ。結果的にはそれが正解だった。はじめにラウズ入りのクインテットを聴いたことで、ぼくはすんなりとモンクの音楽が理解できたと思う。ぼくは現在でも、モンクのアルバムをどれか聴いてみたいというジャズ初心者がいたとしたら、ジャズ本で多くの評論家が勧めるいくつものアルバムを差し置いて、ラウズ入りのクインテットか、ジョニー・グリフィンの入った二枚(『イン・アクション』と『ミステリオーソ』)を勧める。
 さて、当時のぼくはなぜモンクにハマッたのか。それはモンクの音楽にたいする考え方というのが、ぼくがそれまで聴いていた音楽とはまるで違っていたので、新発見だったからだ。
 モンクの場合もビル・エヴァンスと同じく、演奏者どうしの対話というのが音楽の中心になっている。モンクの場合はビル・エヴァンスのようにピアノ〜ベース〜ドラムの三者間での対話でなく、フロントのホーン奏者を交えた対話となる。そして対話性という点でビル・エヴァンスより徹底していて、モンクは現在進行形で続いていく対話こそが音楽であると考え、それを完成した一個の作品にすることを目指さない。例えばモンクは演奏家のミスを許容する。ミスしたらやり直して傷のない作品にしようとはしない。そこに演奏者どうしの濃密な音楽的対話が成立していればミスがあったってかまわない、ミスも含めて音楽だという考え方だ。むしろミスを恐れ、完璧な演奏を目指して小さくまとまってしまうことを拒否する。そうして完成を目指して集束していくのではなく、続いていく対話から生まれ広がっていくものが音楽だと考えている。
 そもそもクラシックからポップス、ロックなどに至るまで、それまでぼくが知っていのタイプの音楽は、作編曲された全体像があって、その枠のなかで演奏者が演奏していくものだった。
 対してジャズ、とくにモンクなど本来のジャズの魅力をもったジャズマンの演奏するジャズというのは、ジャズ的なルールに基づいたインプロヴィゼイションがむしろすべてであり、作品としての全体像なんていうものは演奏した結果としてたまたま出来上がったものに過ぎないという考え方をする。作品として完成されたものになることも目指さない。
 そういった、いままで聴いていた音楽とはまったく違った価値観をもった音楽がぼくには新鮮であり、このようなモンクの考え方こそがジャズの精神のような気がして夢中になって聴いていたわけだ。

 もっともすべてのジャズマンがモンクのような考え方をしているわけではない。例えばマイルス・デイヴィスはずっと普通のポップ・ミュージックに近い価値観でジャズを演奏しているのがわる。
 例えば「ing」四部作の頃のマイルスはシナトラが好きだったらしく、50年代アメリカン・ポップスの編曲性をジャズにとりいれ、曲目もシナトラが歌ったスタンダードを多くとりあげている。だからこの時期のマイルスのジャズはコンパクトによくまとまっていて、わかりやすく、聴きやすい。50年代アメリカン・ポップスの延長みたいな感覚で聴ける。
 また、後の『Bitches Brew』以後のエレクトリック路線のサウンドにしても、同時代のロックに親しんでいればむしろ親しみやすいサウンドだ。じっさいジャズを聴きはじめた頃のぼくは既にジミ・ヘンドリックスやらプログレやらを聴きまくっていたので、エレクトリック・マイルスのサウンドはそれまで聴いていたロックに似たサウンドに聴こえて新鮮味がなく感じ、むしろ伝統的なアコースティック・ジャズのほうがいままで聴いたことがなかったサウンドだったもので新鮮に感じていた。
 それはサウンドや編曲性、リズムなどがポップスやロックに近いというだけのことではなくて、そのような編曲性にコントロールされたサウンド作りを音楽の魅力とする考え方、そして革新的なサウンドを作りだしていくことで新しい音楽を作りだしていこうとする考え方そのものが、ポップスやロックなどの考え方と近いのである。だから、ジャズを聴きはじめた保守的な人間はマイルスにハマることが多いのだが、そのぶんマイルスはモンクに比べると、ジャズ特有の魅力には乏しい。

 さて、しかしモンクに関してもジャズ本で紹介されるアルバムには疑問の連続だった。もしぼくが最初からジャズ本を頼りにモンクを聴きはじめたとしたら、たぶんモンクを理解するのはかなり遅れただろう。
 ぼくはモンクの音楽の中心はホーン奏者との対話性にあるので、まず聴くべきはホーン入りのバンドで、対話性に満ちた演奏を繰り広げたアルバムだと思う。ホーンの数は、最初は一本がいいと思う。なぜならホーンの数が増えればその分一枚のアルバムあたりのモンク自身のソロ・スペースが減るわけで、しかし最初に聴く時はモンク自身の演奏もじっくり聴いてみたいのが人情というものだろう。そして、ワン・ホーン編成でリラックスしたムードで対話性にあふれた演奏を繰り広げたアルバムを選ぶとすれば、ラウズ入りの諸作か、グリフィン入りの2枚がまず思い浮かぶ。たぶんそのへんから聴いていくのがモンクの音楽に近付いていく一番の道ではないかとぼくは思う。
 しかし、ジャズ本でよく紹介されているモンクのアルバムはというと、ソロやトリオ、あるいは『ブリリアント・コーナーズ』など多管で完成度の高いアルバムが多い。なかにはモンクを聴きたい時はマイルスの『モダン・ジャズ・ジャイアンツ』を聴くなどというものさえ読んだことがある。しかしそれはあまりにモンクの音楽の本質とは離れたセレクトではないか。
 モンクの音楽の中心はホーン奏者との対話性であるから、ソロやトリオでそれが味わえるわけがない。そしてホーン奏者であってもマイルス・デイヴィスという人は対話的な即興演奏が出来ないモノローグ型の人であり、そのため自分のソロ・パートではバックでモンクが演奏することを拒否した。そんな録音を聴いたってモンクの音楽がわかるわけない。そしてモンクには対話性のほかに編曲によって自分の音楽を築いていく部分もあり、『ブリリアント・コーナーズ』はその路線で最も完成度の高い傑作とは言える。しかし、きっちりと完璧に作られすぎているために、モンクの本質である対話性が味わいづらい欠点がある。
 しかし、『モダン・ジャズ・ジャイアンツ』は問題外としても、なぜジャズ本はソロやトリオ、『ブリリアント・コーナーズ』を紹介したがるのだろうか。それはモンクの作品のなかから特に完成度の高い傑作を紹介しようとするからではないか。確かにソロやトリオのアルバムのなかにはジャズ・ピアニストとしてのモンクの真骨頂をとらえた傑作といえるアルバムがあるし、『ブリリアント・コーナーズ』も完成度の高い作品ではある。そしてラウズやグリフィンの入ったクインテットのアルバムが、そんなに完成度の高い傑作かというと、実はぼくも必ずしもそうとは思わない。とくにラウズ入りのアルバムなんて、たくさんありすぎて、どれを紹介したらいいのかわからない。全部聴き比べたわけでもないんで、どれが一番初心者に最適かなんてわからない。けれどもモンクの音楽の本質を理解するのにはアルバムが傑作である必要はないと言いたい。
 つまり、モンクを紹介するのに、まず完成度の高い傑作から紹介しようとする態度は、傷のない高い完成度の作品をつくることを目標とせず、ミスをも許容して続いていく現在進行形の対話こそが自らのジャズだとしたモンクの本質をとらえてない紹介のしかたではないか。つまりはモンクが示しているジャズの精神を理解せず、ポップソングや、あるいはクラシックを聴くのと同じ尺度でモンクを計ってアルバム選びをした結果ではないか。
 ぼくがモンクにハマッた理由はむしろそんな尺度をモンクが破壊し、ジャズとはポップソングやクラシックとは同じ価値観で計れない音楽であることをモンクが示してくれたからだ。しかし、ポップソングやクラシックの尺度でモンクを紹介してしまうジャズ本の作者というのは、結局のところモンクを本質的に理解できてないのではないか。
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by Fee-fi-fo-fum | 2009-05-25 01:06 | 役に立たないJazz入門