『ウェイン・ショーターの部屋』(http://www.bekkoame.ne.jp/~echika/wayne/wsindex.html)の別館です。


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(役に立たないジャズ入門・5)

■ぼくがジャズを聴きはじめた頃3 〜 チャーリー・パーカー


 セロニアス・モンクの次にぼくがハマッたのはチャーリー・パーカーだった。
 パーカーに近付いていくのはある程度時間がかかった。パーカーのジャズは初心者には難解だと思う。といっても頭で考えた難解さではなく、身体のノリがパーカーの音楽についていけないのだ。だから自転車に乗れない人間が乗れるようになるかんじで、一度身体がついていけるようになれば、あとは難解でもなんでもなくなる難解さなのだが。それでも初心者にパーカーをいきなり勧めるのは無茶だと思う。
 何十年もジャズを聴いているはずのジャズ評論家でも、ほんとうはパーカーがわからないんじゃないかと思う文章に出合うことさえあるのだから。

 チャーリー・パーカーに興味を持ちはじめたきっかけは、多くのジャズ本でパーカーが特別扱いされていたからだ。ジャズの最高峰とか、そういった神格化されたかんじで。
 そうなると、とりあえず一度聴いてみたい気にはなる。気に入るかどうかはわからないが、一度聴いてみないとはじまらないというかんじだ。
 そしてそんなジャズ本を見ると、パーカーの最高傑作とはサヴォイとダイヤルだと書かれていた。サヴォイもダイヤルも40年代後半にパーカーが録音していたレーベル名で、その時代に録音されてSP盤としてリリースされていた演奏が現在では編集されてCDとしてリリースされているわけだ。でもサヴォイとダイヤルの二つがオススメというのは、紹介のされかたとしてけっこうわかりやすい。それでとりあえずサヴォイを聴いてみたのだが、どこが良いのかさっぱりわからなかった。40年代のSP盤からの復刻のせいで音質が悪く、演奏も騒がしいだけとしか聴こえなかった。
 いいと思えないのなら聴いても仕方がない。でも、多くの人が最高峰だというパーカーを自分が理解できないというのも、なんか気分がわるい。
 そこで、とりあえずあとダイヤルだけは聴いてみようかと思った。それでいいと思わなければ、パーカーは自分には関係のない人だと判断し、ジャズ本などでどんなにベタ褒めされてようと一切無視することにしようと思った。
 と思ってダイヤルを聴いた。サヴォイとダイヤルの違うところは、サヴォイはバラードが収録されてないのに対して、ダイヤルのほうはあるというところだ。ぼくはダイヤルでもアップテンポのナンバーはサヴォイと同じ感想で、つまり騒がしいだけとしか感じられなかったのだが、バラードはいいと思った。ついていけたわけだ。
 その頃ぼくはウォークマンを持っていて、満員電車の中や街を歩きながら音楽を聴いていた。ということでパーカーのダイヤルもウォークマンで聴くことになった。といっても聴くのはバラードばかりだったが。
 満員電車のなかでウォークマンで音楽を聴くということは、かなり集中して音楽を聴くことになる。部屋で聴くときは「ながら聴き」になりがちだが、満員電車のなかでは他に何もできないので、一音一音を聴き逃さないように集中して聴くことになる。ぼくはもともと飽きっぽい性格だから、そんなふうに集中して聴くと、わりとすぐにその音楽に飽きてしまい、そう何度も聴き返したくはならない。だからぼくはウォークマンの中身はほぼ毎日とりかえて、毎日新しいアルバムを聴いていた。
 しかしパーカーをそうやって集中して聴いていると、おかしな事がおこった。他の音楽はすぐに飽きてしまうのに、パーカーの演奏は何度聴いても飽きないのだ。それどころか聴き返すごとに良くなっていく。ぼくのウォークマンはパーカーが入ったままになり、毎日パーカーを聴き続けることになった。
 そうなるとバラード以外の曲も聴いてみたくなる。するとアップテンポのナンバーは相変わらず騒がしいだけとしか聴こえなかったが、バラードを繰り返し聴いた効果なのか、ミディアムテンポのナンバーも良いと思うようになった。そしてバラードとミディアムテンポを毎日繰り返し聴くうちに、ついにアップテンポのナンバーも良いと感じるようになった。
 そうして、べつにそんなつもりもなかったのだが、ぼくは徐々に鍛えられてパーカーについていけるようになったのである。
 そしてその後、しばらくの間は他のミュージシャンのCDはまったく聴かなくなり、チャーリー・パーカーのみを聴き続けることになった。

 一度パーカーが理解できると、パーカーをベタ褒めするジャズ・ファンや評論家の言うことも、体感的に理解できるようになる。正直、いまではぼくも一度もパーカーにハマッた経験が無いというジャズ・ファン、ジャズ評論家は信用できない気がする。ハマるというのは、一定期間チャーリー・パーカーだけを聴き続けるということだ。これはパーカーが理解できる人ならわかると思うが、パーカーの魅力を理解できてしまうと、必然的にそういう聴きかたになってしまう。
 なぜかといえば、パーカーの音楽を理解できるようになるということは、パーカーの聴き方をおぼえるということだ。パーカーの音楽は聴く方も緊張感をもって、真剣勝負で聴かないと理解できないところがある。ところが、パーカーを聴く時のような聴き方で他の音楽を聴くと、ほとんどの音楽はタルくて聴けたもんじゃないものに聴こえるのだ。だから、必然的にチャーリー・パーカーに夢中になっている間はチャーリー・パーカーだけを聴き続けることになってしまう。
 ぼくはやがてチャーリー・パーカー以外のジャズも聴きはじめることになるが、それはパーカーを聴くときとは違う聴きかたを始めたからだ。つまり、なにもいつもパーカーを聴くときのように集中して聴かなくたって、BGMを聴くように聴いてもいいんじゃないかとおもって、他の音楽も聴きはじめたのだ。

 さて、とはいえ、現在ではぼくはチャーリー・パーカーの信者のように、パーカーばかりがジャズの最高峰だとは思っていない。
 たしかにパーカーと同じことをした者でパーカーを超えたジャズマンはいないと思う。でも、パーカーがしなかったこと、やり残したことがある。
 例えば、パーカーの即興演奏は最後までモノローグ型である。これに対して対話型の即興演奏や、集団即興という方法がパーカーがやり残したこととしてある。
 さらに、パーカーの即興演奏はコード進行に基づいている。これにコード進行に基づかない即興演奏というのがパーカーがやり残したこととしてある。それにパーカーなど40年代のジャズの場合、使用しているコードが和声的に単純な気がする。たとえばウェイン・ショーターの後にパーカーを聴くと、クラシックで例えればワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』の後でモーツァルトを聴いたときのような、素直で単純な和声でやっているなと感じるところがある。つまり、ジャズをもっと複雑な和声でおこなうということも、パーカーがやり残したこととしてあるだろう。
 さらに、パーカーの音楽は編曲的には単純だ。オーケストラと共演した『ウィズ・ストリングス』の演奏もオーケストラ編曲は平凡であり、パーカー自身が編曲したものではない。ということで、ジャズとクラシック的な複雑で奥深い編曲性との融合という点も、ジャズのさらなる方向性として考えられる。
 そして、パーカー以後のジャズとは、そのような方向性を進んだミュージシャンたちによって発展していったと思う。


 そんなわけで、ぼくはジャズを聴きはじめたかなり最初のほうでセロニアス・モンクやチャーリー・パーカーといった、かなりジャズの核心の部分からジャズに入っていった。個人的にはそれでよかったと思っている。でも、これが万人に勧められるジャズの入門法かというと、そうでもない気がする。
 実際ぼく自身も、とくにパーカーは最初はまったく理解できず苦労したし、モンクも普通は入門者向けではないミュージシャンだという。入門者に勧めるなら、もっとわかりやすく親しみやすいところから勧めたほうがいい気もする。
 どうも入門者・初心者にジャズを紹介する難しさというのは、たぶんそのへんに理由がありそうな気がする。
 つまり、マイルス・デイヴィスのようにポップスやロックにわりと近い発想でジャズを演奏するミュージシャンのアルバムは、ポップスやロックと近い感覚で聴くことができるので、それまでポップスやロックを聴いていたリスナーには親しみやすくわかりやすい。しかしジャズ独特の魅力という点ではむしろ乏しい面があるので、つまりずっとマイルスを聴いていたのでは、いつまでたってもジャズの本当の魅力がわからずに、ポップスやロックのような感覚でジャズを聴いているだけという結果になってしまいそうな気もする。実際そうなってる人も多く見かける。
 対して、ジャズ特有の魅力を持つミュージシャンの場合、その魅力がわかるようになれば、ジャズ特有の魅力を理解する近道にもなるだろう。しかしそういったミュージシャンはポップスやロックを聴くような価値観で聴いていたのでは本当の魅力がわからない場合が多いので、つまり、ハードルが高くなってしまう。
 いったい入門者・初心者にどっちを勧めればいいのかというのは迷うところであり、ほんとうのところは、その入門する人がどんな性格で何を求めてジャズを聴こうとしているのかによって、勧めるアルバムも違うんだと思う。
 たとえば、それまでロックを聴いていたリスナーがジャズを聴きはじめる場合、フュージョンを好む人が多いそうだ。それはフュージョンならサウンドもリズムもロックに近いので、それまでのロックを聴いていたときと近い感覚で聴けるからなんだろう。
 しかしぼくはそれまでロックを聴いていたのに、ジャズを聴きはじめた当初はフュージョンなど聴かずにアコースティック・ジャズを中心に聴きまくっていた。それはぼくがロックを聴き飽きてきたので、あたらしい何かを発見したくてジャズを聴きはじめたからだろう。だからロックと似たサウンドやリズムをもったフュージョンより、いままで聴いたことがないサウンドやリズムをもった伝統的なアコースティック・ジャズのほうが興味の中心になったわけだ。
 同じようにロックを聴いていた人間がジャズを聴きはじめる場合でも、このように今までと同じ感覚で聴けるものを求めて聴くのか、いままでとは違うものが聴きたくて聴き始めるのかによって、聴くべきアルバムが違ってくる。
 もちろん、例えば疲れて家に帰ってきて、コーヒーかワインを飲みながらBGMとしてかける音楽を求めてジャズを聴きたいとおもう人もいれば、ノリノリで聴ける熱い黒人音楽としてのジャズを聴きたいという人もいるだろう。当然勧めるべきアルバムは違ってくる。
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by Fee-fi-fo-fum | 2009-05-25 01:08 | 役に立たないJazz入門
(役に立たないジャズ入門・4)

■ぼくがジャズを聴きはじめた頃2 〜 セロニアス・モンク



 ぼくがジャズを聴き始めた頃の話を続ける。

 そんな訳でジャズを聴きはじめたぼくは、なんだかわからないながらも、限られた予算内でできるだけいろんなものを聴いてみたいと思い、レンタル店や中古屋などで安いCDを見つけては手あたり次第に聴いてみていた。
 そんななかでぼくがジャズを聴き始めて最初にハマッたのはセロニアス・モンクだった。
 最初に聴いたCDは、単に中古屋で安かったという理由で、チャーリー・ラウズ入りのクインテットのアルバムだ。ラウズ入りのモンクはジャズ本ではまず取り上げられないが、当時のぼくはとにかく安い予算でできるだけたくさんの有名ジャズマンの演奏を聴いてみたいと思っていたから、安さだけで選んだわけだ。結果的にはそれが正解だった。はじめにラウズ入りのクインテットを聴いたことで、ぼくはすんなりとモンクの音楽が理解できたと思う。ぼくは現在でも、モンクのアルバムをどれか聴いてみたいというジャズ初心者がいたとしたら、ジャズ本で多くの評論家が勧めるいくつものアルバムを差し置いて、ラウズ入りのクインテットか、ジョニー・グリフィンの入った二枚(『イン・アクション』と『ミステリオーソ』)を勧める。
 さて、当時のぼくはなぜモンクにハマッたのか。それはモンクの音楽にたいする考え方というのが、ぼくがそれまで聴いていた音楽とはまるで違っていたので、新発見だったからだ。
 モンクの場合もビル・エヴァンスと同じく、演奏者どうしの対話というのが音楽の中心になっている。モンクの場合はビル・エヴァンスのようにピアノ〜ベース〜ドラムの三者間での対話でなく、フロントのホーン奏者を交えた対話となる。そして対話性という点でビル・エヴァンスより徹底していて、モンクは現在進行形で続いていく対話こそが音楽であると考え、それを完成した一個の作品にすることを目指さない。例えばモンクは演奏家のミスを許容する。ミスしたらやり直して傷のない作品にしようとはしない。そこに演奏者どうしの濃密な音楽的対話が成立していればミスがあったってかまわない、ミスも含めて音楽だという考え方だ。むしろミスを恐れ、完璧な演奏を目指して小さくまとまってしまうことを拒否する。そうして完成を目指して集束していくのではなく、続いていく対話から生まれ広がっていくものが音楽だと考えている。
 そもそもクラシックからポップス、ロックなどに至るまで、それまでぼくが知っていのタイプの音楽は、作編曲された全体像があって、その枠のなかで演奏者が演奏していくものだった。
 対してジャズ、とくにモンクなど本来のジャズの魅力をもったジャズマンの演奏するジャズというのは、ジャズ的なルールに基づいたインプロヴィゼイションがむしろすべてであり、作品としての全体像なんていうものは演奏した結果としてたまたま出来上がったものに過ぎないという考え方をする。作品として完成されたものになることも目指さない。
 そういった、いままで聴いていた音楽とはまったく違った価値観をもった音楽がぼくには新鮮であり、このようなモンクの考え方こそがジャズの精神のような気がして夢中になって聴いていたわけだ。

 もっともすべてのジャズマンがモンクのような考え方をしているわけではない。例えばマイルス・デイヴィスはずっと普通のポップ・ミュージックに近い価値観でジャズを演奏しているのがわる。
 例えば「ing」四部作の頃のマイルスはシナトラが好きだったらしく、50年代アメリカン・ポップスの編曲性をジャズにとりいれ、曲目もシナトラが歌ったスタンダードを多くとりあげている。だからこの時期のマイルスのジャズはコンパクトによくまとまっていて、わかりやすく、聴きやすい。50年代アメリカン・ポップスの延長みたいな感覚で聴ける。
 また、後の『Bitches Brew』以後のエレクトリック路線のサウンドにしても、同時代のロックに親しんでいればむしろ親しみやすいサウンドだ。じっさいジャズを聴きはじめた頃のぼくは既にジミ・ヘンドリックスやらプログレやらを聴きまくっていたので、エレクトリック・マイルスのサウンドはそれまで聴いていたロックに似たサウンドに聴こえて新鮮味がなく感じ、むしろ伝統的なアコースティック・ジャズのほうがいままで聴いたことがなかったサウンドだったもので新鮮に感じていた。
 それはサウンドや編曲性、リズムなどがポップスやロックに近いというだけのことではなくて、そのような編曲性にコントロールされたサウンド作りを音楽の魅力とする考え方、そして革新的なサウンドを作りだしていくことで新しい音楽を作りだしていこうとする考え方そのものが、ポップスやロックなどの考え方と近いのである。だから、ジャズを聴きはじめた保守的な人間はマイルスにハマることが多いのだが、そのぶんマイルスはモンクに比べると、ジャズ特有の魅力には乏しい。

 さて、しかしモンクに関してもジャズ本で紹介されるアルバムには疑問の連続だった。もしぼくが最初からジャズ本を頼りにモンクを聴きはじめたとしたら、たぶんモンクを理解するのはかなり遅れただろう。
 ぼくはモンクの音楽の中心はホーン奏者との対話性にあるので、まず聴くべきはホーン入りのバンドで、対話性に満ちた演奏を繰り広げたアルバムだと思う。ホーンの数は、最初は一本がいいと思う。なぜならホーンの数が増えればその分一枚のアルバムあたりのモンク自身のソロ・スペースが減るわけで、しかし最初に聴く時はモンク自身の演奏もじっくり聴いてみたいのが人情というものだろう。そして、ワン・ホーン編成でリラックスしたムードで対話性にあふれた演奏を繰り広げたアルバムを選ぶとすれば、ラウズ入りの諸作か、グリフィン入りの2枚がまず思い浮かぶ。たぶんそのへんから聴いていくのがモンクの音楽に近付いていく一番の道ではないかとぼくは思う。
 しかし、ジャズ本でよく紹介されているモンクのアルバムはというと、ソロやトリオ、あるいは『ブリリアント・コーナーズ』など多管で完成度の高いアルバムが多い。なかにはモンクを聴きたい時はマイルスの『モダン・ジャズ・ジャイアンツ』を聴くなどというものさえ読んだことがある。しかしそれはあまりにモンクの音楽の本質とは離れたセレクトではないか。
 モンクの音楽の中心はホーン奏者との対話性であるから、ソロやトリオでそれが味わえるわけがない。そしてホーン奏者であってもマイルス・デイヴィスという人は対話的な即興演奏が出来ないモノローグ型の人であり、そのため自分のソロ・パートではバックでモンクが演奏することを拒否した。そんな録音を聴いたってモンクの音楽がわかるわけない。そしてモンクには対話性のほかに編曲によって自分の音楽を築いていく部分もあり、『ブリリアント・コーナーズ』はその路線で最も完成度の高い傑作とは言える。しかし、きっちりと完璧に作られすぎているために、モンクの本質である対話性が味わいづらい欠点がある。
 しかし、『モダン・ジャズ・ジャイアンツ』は問題外としても、なぜジャズ本はソロやトリオ、『ブリリアント・コーナーズ』を紹介したがるのだろうか。それはモンクの作品のなかから特に完成度の高い傑作を紹介しようとするからではないか。確かにソロやトリオのアルバムのなかにはジャズ・ピアニストとしてのモンクの真骨頂をとらえた傑作といえるアルバムがあるし、『ブリリアント・コーナーズ』も完成度の高い作品ではある。そしてラウズやグリフィンの入ったクインテットのアルバムが、そんなに完成度の高い傑作かというと、実はぼくも必ずしもそうとは思わない。とくにラウズ入りのアルバムなんて、たくさんありすぎて、どれを紹介したらいいのかわからない。全部聴き比べたわけでもないんで、どれが一番初心者に最適かなんてわからない。けれどもモンクの音楽の本質を理解するのにはアルバムが傑作である必要はないと言いたい。
 つまり、モンクを紹介するのに、まず完成度の高い傑作から紹介しようとする態度は、傷のない高い完成度の作品をつくることを目標とせず、ミスをも許容して続いていく現在進行形の対話こそが自らのジャズだとしたモンクの本質をとらえてない紹介のしかたではないか。つまりはモンクが示しているジャズの精神を理解せず、ポップソングや、あるいはクラシックを聴くのと同じ尺度でモンクを計ってアルバム選びをした結果ではないか。
 ぼくがモンクにハマッた理由はむしろそんな尺度をモンクが破壊し、ジャズとはポップソングやクラシックとは同じ価値観で計れない音楽であることをモンクが示してくれたからだ。しかし、ポップソングやクラシックの尺度でモンクを紹介してしまうジャズ本の作者というのは、結局のところモンクを本質的に理解できてないのではないか。
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by Fee-fi-fo-fum | 2009-05-25 01:06 | 役に立たないJazz入門
(役に立たないジャズ入門・3)


■ぼくがジャズを聴きはじめた頃1 〜 やたらにたくさん聴かせたがることの功罪


 ぼくがジャズを聴きはじめた頃の話を再開する。
 先に書いたようなわけで、ぼくが本格的にジャズを聴きはじめたきっかけは、ビル・エヴァンスの『Waitz for Debby』からだ。このアルバムはジャズ入門に最適なアルバムとして定評があるし、ぼくも同意見だ。ぼくはこの『Waitz for Debby』とかソニー・ロリンズの『サクスフォン・コロッサス』あたりが、ジャズ本の推薦がめずらしく的を射ていた貴重な例だと思っている。
 では、『Waitz for Debby』のどこが良いのだろうか。雰囲気がいいとか、ジャケットがいいとか、いろいろいう人がいるが、ぼくの場合いちばん感心したのは演奏者どうしの対話によって音楽が生まれ、展開していくという点だった。
 というのも、ぼくはそれまでにいろいろなタイプのロックを聴いていたので、演奏者のインプロヴィゼイションというのもロックで聴いたことがあった。つまり、ジャズを聴く以前にジミ・ヘンドリックスもエリック・クラプトンも聴きまくっていたわけである。
 しかしぼくがそれまで聴いていたロックにおけるインプロヴィゼイションというのは、バックバンドの演奏にのってソロ奏者がインプロヴィゼイションを繰り広げるという、いわゆるモノローグ型のものだった。そしてそれはマイルスも同じだった。だからマイルスのジャズはぼくにとって、実はそれほど大きな新発見ではなかったのである。
 しかしビル・エヴァンスのように、たった三人の演奏者が入り乱れるように対話し、その対話のなかから音楽が生まれ、展開していくインプロヴィゼイションというのは聴いたことがなかった。それだけにぼくにとってビル・エヴァンスは新発見であり、聴きはじめた頃はこの人はマイルスよりずっと上だと思った。そのぼくの判断が正しかったがどうかはさておく。
 さて、ではそのままビル・エヴァンスにハマり、聴きまくったかというと、そうはならなかった。
 というのは、それはビル・エヴァンスのアルバムは、一枚聴いてしまえばあとはだいたい似たようなものばかりだとわかってきたからだ。つまりこの人はピアノ・トリオによる演奏を得意とし、アルバムはほとんどピアノ・トリオばかりで、演奏方法もそう大きな変化があるわけでもない。もちろん微細な違いはあるし、そういった差を聴いていくのが楽しいという人もいるだろう。あるいは、それほど大きな差はなかったとしてもビル・エヴァンスのアルバムはどれも聴いていて飽きないという人もいるだろう。でもぼくはジャズを聴きはじめたばかりであり、どうせなら同じようなものを聴き続けるより、もっといろいろ聴いてみたかったわけだ。
 そんなわけでビル・エヴァンスを端緒として、今度はいろいろなジャズマンのアルバムを聴きはじめた。一度ニアミスをしたままになっていたマイルス・デイヴィスも再度聴き始めて、今度はちゃんとおいしいところを見つけて聴いていけたし、その他にもいろいろなジャズマンのアルバムを聴いた。


 その頃感じていた疑問点を書きたい。
 そんなわけでぼくはいろんなタイプのジャズを聴いてみたいと思い、しかし周囲にジャズに詳しい人はいなかったので、また本を頼りにどんなジャズマンを聴いたらいいのか調べながら聴いていった。
 しかし、正直かなり困惑した。それはジャズ本には確かに多くのジャズマンが紹介されているものの、ほんとに膨大な数のジャズマンやアルバムが並べられて紹介されているので、どこから聴いたらいいのかわからなかったからだ。いったい入門者・初心者にいきなり膨大な量のアルバムを勧めてどうしようというのかと思う。
 例えばいきなり100人くらいのジャズマンのアルバムを紹介し「最低これだけ聴けばジャズをかじったと言えるだろう」などと書いたものも見たことがある。もしそれが本当だとすれば、ぼくだっていまだにジャズをかじっているとも言えない。
 実際、聴く必要なんてない。
 たとえばロック関係の本で、チャック・ベリーからストーンズからプログレからパンクからデス・メタルやスラッシュ・メタルやらのアルバムを何百枚も紹介し「これだけ聴いておけばロックをかじったと言える」などと書いてある本を見たら、かなり不気味に思うだろう。そして、本当にそんな様々なロックのすべてを並行して聴いている者がいたとしたら、それは少なくともフツーのファンじゃないことはわかるだろう。むしろ本当にロックを楽しんで聴いているのか疑われる。
 ジャズだって同じことだ。例えばジャズ本にフリージャズの演奏者数名とその代表作としてアルバムが数枚づつ紹介されていたとしよう。もしそのうち一枚を聴いて、どうもフリージャズというのは自分に合いそうもない、自分が聴きたい音楽と違うと感じたとしたら、とりあえず他のフリージャズ系のアルバムは紹介されていても聴かなくていい。もちろん合わないのはその一枚だけで、他のアルバムを聴いたらフリージャズも好きになるという可能性もないことはない。でも、とりあえず後回しにして、後で興味が湧いてきたらそのとき聴けばいい。そういうもんだろう。
 好みによる選択というのは必ずあるものであり、べつに好きでもないものをジャンルの全体像を知るために聴く必要なんてない。
 ジャズ入門者だった頃のぼくは、入門者にいきなりこんなにたくさんのアルバムを勧める本というのは、著者が自分の豊富な知識を自慢したいだけの本なんじゃないかとも思えていた。

 けれども、ジャズを聴いているうちに、ジャズ批評家がそういう方向に走る気持ちに共感できる点もあることがわかってきた。
 それはビッグネームばかりをありがたがる俗物根性への批判だろう。
 とかく大衆というのは実質よりも名声をありがたがるものだ。ビッグネームだというとわけもわからずにありがたがるが、無名なミュージシャンには見向きせず聴いてみようともしない傾向がある。
 しかし、ビッグネームの作品が本当に優れたものか、無名なミュージシャンが本当に劣ってるのかは、実はわからない。
 なぜなら、音楽業界の側もそんな大衆の俗物根性をよく知っているから、あるミュージシャンを売り出したかったら、まず莫大な宣伝費をかけてでもそのミュージシャンを有名にしてしまい、その名声によって作品を売るという商法をとるからだ。というわけで、有名人ばかりをありがたがる大衆は業界が売りたがっているビッグネームをありがたがって買いつづけ、実は優れた作品をつくりながら、運悪く商業主義に乗れなかったミュージシャンは不遇をかこって無視され続けるという現象がおこる。
 もちろんビッグネームの名声のすべてがそういった商業主義によって作られたものではない。実力を伴ったビッグネームもいる。そして、かつては実力を伴ってビッグネームにのし上がった人間が堕落し、もはやビッグネームと呼ぶに足る音楽表現ができなくなっても、名声だけはビッグネームとしてカリスマ性だけ持ちつづけたという例もある。
 そして、そんな商業主義だってかならずしも悪いとはいえない。とにかくスターを作り出して、大衆の耳をそこに向けさせれば、ファンの裾野は広がるからだ。クラシックの分野でいえばカラヤンなどが行ったのはそういうことではないだろうか。行き過ぎた商業主義に毀誉褒貶が相半ばした人物だが、カラヤンのおかげでクラシック・ファンの裾野が広がったということも多分事実だろう。問題はたんに有名だからとカラヤンを聴いていた大衆を、他の演奏家にも耳を向けさせ、真のクラシック・ファンにできるかどうかということだ。
 ジャズの分野で、そういったジャズの大衆化に成功した人物とえば、例えばマイルス・デイヴィスがいる。つねに時代の流行に合わせてサウンドを変化させ、優秀なミュージシャンを次々にバンドに引きいれてバンドの演奏レベルを上げ、それをしっかりとビジネスに結びつけていくプロデューサー的能力はたいしたものだった。もちろんそれによってジャズを聴くファンが増えるのであれば、マイルスの成し遂げたジャズの大衆化も、それ自体批判すべきことではない。
 でも、ジャズの入門者のなかには、マイルスとかコルトレーン、あるいはビル・エヴァンスなどといった有名人だけをありがたがって聴き、他は聴かない。自分の耳で音楽を判断しようとしない、俗物根性だけでジャズを聴く者も多いようだ。これは音楽をたのしむのとはかなり遠い行為だろう。
 有名だからといってありがたがるのではなく、有名無名をとわずにいろいろ聴いてみて、最後は自分の耳で判断するのが本来の在り方だろう。そして良心的な批評家なら、そうするように勧めるのがスジだとはいえる。
 しかし、むしろ逆にそんな大衆の俗物根性にすりよって、ビッグネームの提灯持ちを続けることだけで食っていこうとする批評家も多数いるからややこしくなる。なかにはマイルスだけ聴いていればジャズのすべてが理解できるなどという大嘘を平気で書いた本さえある。(実際はマイルスだけ聴いてたってジャズの全体像がわかるわけがない。フリージャズもソウル・ジャズももちろんスウィング・ジャズも聴けない。集団即興はおろか、対話的な即興演奏さえマイルスはできなかった。また本格的に編曲に取り組んだこともない)
 だから、そんな有名人ばかりありがたがる大衆の俗物根性や、それをむしろ煽っているロクでもない批評家を批判することには共感できる。それは正しいスジだと思う。
 しかし、膨大な数のアルバムをただただ紹介しているジャズ本のすべてがそこまで考えてそうしているとも思えないのも事実だ。
 音楽というものは基本的に好きなものを自分のペースで聴いていけばいいのであり、無理にたくさんのアルバムを聴く必要はない。
 ビッグネームばかりありがたがる俗物根性を批判するなら、まずこのへんから聴いてみて、この辺が好きならばこの人も聴いてみたほうがいい……などと、入門者にとってわかりやすい指針を示すべきなんじゃないだろうか?
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by Fee-fi-fo-fum | 2009-05-25 01:04 | 役に立たないJazz入門
(役に立たないジャズ入門・2)

■「名盤」を信じるな。

 初心者がジャズにつまづく大きな原因の一つは「名盤」ではないかと思う。じっさいぼくもジャズを聴きはじめた頃、やたらとある「名盤」や「有名盤」に苦しまされた。
 つまり、誰だってジャズを聴きはじめる頃は自分で判断する力がないから、とりあえず勧められたものも聴いてみるところから始めるしかない。そして普通の感性の人なら「名盤」ときくと、それは傑作であり、聴いておもしろい作品であり、ぜひ聴くべき作品だと誤解してしまうんじゃないか。それで「名盤」なんてものに手を出してしまう人も多いんじゃないか。
 しかしジャズにおける「名盤」は実はそうでもない。もちろん聴いても良い「名盤」も中にはある。しかし聴いたってどこがおもしろいのかわからない、そしてそう感じるのがむしろ当然な「名盤」も数多くある。「ジャズ史上の名盤」だと聞いて、そのアルバムを聴いてみて、どこがおもしろいのかわからなくて、ジャズっていうのは自分には縁のない音楽じゃないかとおもってジャズを聴くのをやめてしまう人だって、けっこういるんじゃないだろうか。そんな罪深い存在が「名盤」ではないか。
 では「名盤」とは何なのか、なぜ「名盤」と呼ばれるのか。

 ぼくが考えるに、ジャズの世界で「名盤」と呼ばれるものには、例えば次のような種類がある。そして、それぞれに問題を含んでいるのだ。
 それを一つづつ説明してみたいと思う。

1、いわゆる「歴史的名盤」。
2、ジャズ喫茶から生まれた名盤。
3、希少性など、特定の価値で語られる名盤。
4、ジャズ・ジャーナリズムによって作られた名盤。



1、いわゆる「歴史的名盤」

 まずは「歴史的名盤」というやつだ。これはまず聴いてもつまらない率が高い。
 ではなぜ「歴史的名盤」なんてものが生まれるのか。どうもジャズ評論家のなかにはジャズの歴史を語りたがる人が多いような気がする。入門者向けのはずのジャズ本などでも、そもそものジャズのおこり、ジャズの歴史などから書き起こしているものもけっこう見たことがある。入門者にそんなことを語って何の意味があると思っているのかわからないが。
 もちろんジャズを楽しむのにジャズの歴史なんて知る必要はないし、ジャズを理解できない人がジャズの歴史を知ることでジャズが楽しめるようになるもんでもない。ロックを楽しむのにロックの歴史なんて知らなくてもいいのと同じだ。もちろんジャズの歴史に興味をもってもいいし、それはそれで調べればおもしろいものかもしれないが、それはジャズを楽しむのとは別の行為だろう。
 しかしなぜかジャズの歴史を語りたがるジャズ評論家が多いとすれば、ジャズの歴史を語るうえで欠かせないアルバム、つまり「歴史的名盤」というものが出てくる。それは歴史の分岐点となったアルバムであったり、ある時代を象徴するアルバムであったりする。
 でも、逆にいえばそれはジャズの歴史を語るうえで欠かせないというだけで、聴いておもしろいとは限らない。それに、べつにジャズを楽しむのにジャズの歴史を知る必要もないし、語る必要もないことから考えれば、結局は聴かなくてもいいアルバムだ。
 でも、なかには聴いてもおもしろい「歴史的名盤」というのもないことはないから、多少の注意は必要なのだが。


2、ジャズ喫茶から生まれた名盤

 次にジャズ喫茶から生まれた名盤というものがある。
 ジャズ喫茶というのは日本独特の文化だったようだ。もっとも現在ではほとんど姿を消していると思うので一応説明しておくと、ジャズ喫茶というのは大量のジャズのアルバムを揃えた喫茶店で、コーヒーなど注文しながらリクエストすればそのアルバムを聴かせてくれる。あるいは店のほうでかけたアルバムを聴く……といったもの。
 もともと数十年前の日本では本場のジャズマンの演奏をライヴで聴ける機会がほとんどなく、LPも高価で、そう気軽に買えるものではなかった。そのためこういった店が発達したのだろう。もちろんジャズばかりではなくクラシックを聴かせる名曲喫茶やポップスを聴かせる店もあったようだ。
 さて、このジャズ喫茶から生まれた名盤というのは、そんなジャズ喫茶で特に数多くリクエストされたことで有名になり、名盤と呼ばれるようになったものだ。ということで歴史的名盤のように頭デッカチのものではないんで、ジャズを聴いて楽しむための名盤としてハズレの少ないもののように一見おもえる。
 けれど、聴いているうちに、どうもこの「ジャズ喫茶の名盤」というのにもヘンなバイアスがかかっているのがわかってきた。
 それは、ジャズ喫茶の名盤というのは一流のジャズマンによる大傑作といったものは少なく、たいていはB級の、でも味のあるアルバムといったものがほとんどだということだ。
 ぼくはそうなるのも納得できる気はする。どんなジャンルであれ、ある程度年期の入ったファンというのは、誰もが知ってる有名人を支持するより、いわゆる「通」しか知らないような、しかし味のある人を支持したりしたがるもののようだ。例えば映画俳優でいえば、誰でも知ってる主演俳優より、悪役として数シーン出てくるだけの怪優を好きになったりする。
 たしかにそれは「通」の行き方として普通なのかもしれない。いままで光があたることのなかった無名なアルバムのなかから自分で「意外な名盤」を見つけだすことにもよろこびがあるものだ。
 そして、そんなファンのあいだで、自分が見つけたお気に入りを語り合っているだけなのなら何の問題もない。だが、そんなふうにしてジャズ喫茶から有名になったアルバムをジャズの入門者・初心者に勧めるとなると問題も出てくる。
 つまり、まだジャズを聴きはじめでジャズの魅力も充分にわかっているとはいえない入門者に勧めるのなら、B級のアルバムを勧めるより、まずは一流の名演を勧めるべきだ。そのほうがわかりやすいし、それでこそジャズを聴く耳ができてくるものであり、B級の味を知るのはその後でいいんじゃないか。


3、希少性など、特定の価値で語られる名盤。

 ぼくが初心者だった頃よく騙された、聴いて「なんだこれ?」度が高い名盤・有名盤が、いわゆる「希少盤」というやつだ。
 希少盤というのは、リリース当初LPがなかなか手に入らない、その希少性によって有名になったアルバムだ。現在では再発されて簡単に手に入るものも多い。
 そもそも欲しくてもなかなか手に入らない希少性というのは、何倍にも価値があるように感じさせるものだ。現在のブランド商品の商法や行列が出来る店の商法、「限定品」なんていうのも、この効果を狙ったものだろう。そのためなかなか手に入らない希少盤というのものは話題に出ることが多くなり、有名になり、それをようやく手に入れられたファンはいままでの苦労のためにその価値が何倍もに感じれて賞賛することもあるだろう。
 しかし、それは希少性そのものが生み出した価値であり、例えばブランドのバックなんかもみんなが欲しがるから自分も欲しいと思うのであり、誰も欲しがらないバックなら自分も欲しくないという面もある。この「多くの人が求めているが少数の人しか手に入らない」という状況が感じさせる価値というのは、再発されて誰もが簡単に手に入るようになってしまうと「なんだこれ」ということにもなりがちだ。
 けれど、多くの人が求めたのなら、それはもともとそのアルバムにそれだけの価値があるということじゃないかと思う人がいるかもしれない。けれど、そうでもない。
 だいたいジャズ・ファンにはコレクターが多い。そしてコレクターのよろこびというのは、他人が持っていないものを自分は持っているというところにあって、ヘタをすると中身なんて関係ない場合もある。
 それに希少盤とはなぜ希少なのかというと、それは売れなかったのですぐ廃盤になり、少数の枚数しか出回ってないからだろう。なぜ売れなかったのかというと、まず大抵の場合はその程度の内容だったからじゃないだろうか。もちろん中には優れた作品が理解されずに売れなかったという場合もあるだろうが、パーセンテージからすればつまらないから売れなかった場合のほうがはるかに多いだろう。
 実際ぼくはジャズを聴きはじめた頃、よく本にジャケ写が載ってるアルバムを中古屋などで見つけて、これはよく本で見るから良いアルバムなのかなと思って聴いてみると、「なんじゃこれ?」だったり「べつに、普通じゃん」だったりして、よく本を見返してみるとそれがかつて希少盤として有名だったアルバムだと書いてあったことがよくあった。たしかに希少価値がある頃にようやく入手して聴いた人には感激のアルバムだったのかもしれないが、再発されて誰にでも入手できるようになってしまうと、それほどのものでもなかったりする。

 さらにいえば、アルバムの出荷数が少ないという希少性のほかに、そのジャズマンがごく少数のアルバムしか出していないという希少性というのもある。ジャズマンが夭折したか、あるいはごく短い活動期間の後、さまざまな理由で現役を離れてしまった、あるいは活動期間は長くてもリーダー作の録音の機会に恵まれなかったというものもある。
 となると、そのごく少数のアルバムに人気が集中するので、実際はそれほどの内容でなくても、そのアルバムが有名になったりする。逆に順調な活動をしてアルバムを多数出したジャズマンの場合、アルバムがたくさん出ているためにありがたみがなくなって、個々のアルバムがあまり話題にならないという現象がおきてくるようだ。
 いずれにしろ、希少性みたいなものが反映された批評はアテにならないものが多い。


4、ジャズ・ジャーナリズムによって作られた名盤

 以上の3つを含めた上で思うことは、いわゆる「名盤」というもののほとんどは、最初はさまざまな理由・状況で名をあげられるようになったものが、ジャズ・ジャーナリズムの内で安易に引用・増幅されていくなかで、「名盤」として一人歩きして定着してしまったものではないかということだ。
 このジャズ・ジャーナリズム内での安易な引用と増幅というのが問題だ。
 ジャズを聴きはじめてしばらくたったファンなら、ジャズ本というのはジャズなんてまったく聴いてなくても書けそうだと思うものだ。つまり、ジャズを聴きはじめて数年もたてば、いろいろなジャズ紹介の本が、実はどれも同じようなアルバムばかりを名盤として紹介しているに過ぎない、みんなが褒めている名盤をみんなと同じように褒めているに過ぎないものが多いということに気づくからだ。これならジャズのアルバムをたくさん聴いて自分の耳で優れたアルバムを見つけださなくたって、過去に書かれたジャズ本を見て、そこに書かれた「名盤」のなかから適当なものをピックアップして並べていけばジャズ本なんて簡単に書けそうだ。もちろん全部がそうだとはいわないが、その程度のものでしかないジャズ本を多く見てきたというのが実感だ。
 実際、紹介の内容が一人歩きしているような現象も目につく。あるアルバムについて誰かがあることを書くと、別人が他の場所でそれをそのまま引き写したような批評を書いているのを目にしたりする。この場合、最初に書いた誰かが的確なことを書いているのならまだいいのだが、けっこういい加減なことを書いていてもそのまま引き写されるから始末がわるい。いい加減な批評・間違った批評が一人歩きして増殖し、まるでそれが定説であるかのようになってしまう。虚像ばかりが膨らんでいき、事実が覆い隠されてしまう。誰かが「王様は裸だ」と指摘しなければいけないはずなのに、誰もそれをしない。
 歴史的名盤にしても、ジャズ喫茶の名盤にしても、最初にそのアルバムの名があがった時の状況においては意味のあったアルバムなのだろう。しかし、どっかの本に載っていたアルバムだからと、後のジャズ・ジャーナリズムが安易に真似して紹介しつづけていくと、最初にあった意味を忘れられてしまう。
 つまり、歴史的名盤はジャズの歴史を語る上で便利なアルバムなのであって、聴いておもしろいアルバムというわけではない。
 ジャズ喫茶の名盤は、かつて日本のジャズ喫茶に集まったジャズ通たちが見つけたアルバムであって、初心者に勧めるべきアルバムとはかぎらない。
 希少盤はコレクターたちのあいだで有名なアルバムであって、聴いておもしろいかどうかは別問題だ。
 そういった名盤を、ただ有名だから、みんながホメているからと真似して安易にピックアップして、入門者・初心者に紹介してしまうようなジャズ評論家は信用すべきではない。
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by Fee-fi-fo-fum | 2009-05-25 01:01 | 役に立たないジャズ入
(役に立たないジャズ入門・1)


■序

 ジャズを聴き始めた頃から、ずっと不満に思い、不思議に思っていた事がある。それはジャズに関するあまりいい入門書とか、そういった本の類に出会ってないということだ。
 未知のジャンルの音楽を聴きはじめる時には、とりあえず本とか、あるいは周囲に詳しい人がいればその意見とかを頼りにするものだろう。ぼくの場合も最初はそんなかんじだった。でもなんだかジャズの場合、そういった入門書の類に参考にならないものとか、ヘンなバイアスがかかっているものが多い。それはぼくがたまたま運悪くそういったものばかりに引っかかってきたということなんだろうか? でも、どうもジャズに関する入門書は、例えばクラシックとかロックとか、そういった別ジャンルの音楽の本にくらべても役に立たないものが多い気がする。
 そんなわけでこの項は、いままで読まされてきたジャズ本への恨みや不満を書きながら、最終的にはまだジャズを聴き始めだった頃のぼくに勧めたいと思うような、自分なりのジャズ入門にしていくことを目指したいと思う。
 でも、ジャズを聴き始めた頃のぼくがそれまでのジャズ入門を役に立たないとおもったように、ぼくがこれから書くジャズ入門も他人にとっては役に立たないもののような気もする。だから『役に立たないジャズ入門』というタイトルで書きはじめてみる。



■ぼくがジャズを聴きはじめた理由 〜 なんでジャズを聴くのか?

 と、いっておいていきなり何だが、まずはジャズ入門というところから外れて、ぼくがジャズを聴き始めた頃のことを書いてみたい。

 ぼくは何でジャズを聴きはじめたのか? それは、それまで聴いてきた音楽に飽きてきたからだ。そしてそれは多分ジャズを聴きはじめる理由としてはけっこうあるものなんじゃないかと思う。
 ぼくも最初はテレビやラジオからよく流れてくるタイプのポピュラー音楽から聴きはじめた。ロックとかポップス、ソウルとかR&Bとか、つまりそういったボーカル入りの3〜5分ていどで終わる音楽だ。そういったものは親しみやすいし、メロディをおぼえて口ずさむことも簡単にできる。
 でもぼくはわりと最初から、ヒットしている曲を聴くというよりは、自分の好きな音楽は探し出してでも聴きたいし、好きでないものはどんなにヒットしていても聴かないタイプのリスナーだった。ロックを聴けば、自分が生まれる前に流行っていたようなロック、ビートルズやストーンズなども聴いていたし、新しい発見がしたくていろいろなタイプのロック、プログレやら、パンクやら、ハードロックやら、いろいろ聴いてみた。そうすることによってドキドキするような新しい発見があったし、自分の価値観も変わってきて楽しかった。
 でも、そうやって聴きまくっていると、しまいには新しい発見は無くなってきてしまうものだ。つまりはロックやソウルなどで、自分が好きな部分はだいたいわかってしまったわけだ。もちろん完全に理解したとは思わないし、聴いたことのないアルバムはまだまだいくらでもあったけれど、ドキドキするような新しい発見をすることは目立って少なくなってきた。つまり聴いていないアルバムでも、だいたいこういった音楽だろうと予想がつくようになってきてしまった。だいたい単純な構成で3〜5分で終わるポップソングというのは、親しみやすいかわりに飽きやすい。
 それでも自分が好きなタイプの音楽をただ聴きつづけるという選択もあるんだろうが、ぼくはまだまだ新しい発見をしたかった。それならどうすればいいのか。新しいジャンルの音楽を聴いてみることだろうと思った。それでぼくは、それまでほとんど聴いたことがなかったジャズという音楽を聴きはじめたわけだ。

 ちなみに、いまでもこの判断は間違っていなかったと思う。
 つまり、ポップソングを聴き飽きた人がいたら、たぶんその人が聴くべき音楽はジャズかクラシックというのが正解ではないか。
 先にも書いたとおり、ポップソングというのは構成も単純で3〜5分で終わる程度のものなので、親しみやすいかわりに飽きやすい。対してクラシックは構成がはるかに複雑であるため、親しみにくいかわりに、理解できてくれば奥深くて飽きることがない。ジャズの場合、インプロヴィゼイション(即興演奏)というのは聴いていても飽きない。これは何故そうなのかというと、実はよくわからないのだけれど、実体験として飽きないといえる。つまり、ジャズの場合でも何度も聴いていれば編曲された部分やサウンドは飽きてくる。でもインプロヴィゼイションの演奏は何度聴いても飽きないのだ。これはぼくだけがそうなのではなく、聞いてみるとみんなそうらしい。何故そうなのかはわからないのだけれど、このインプロヴィゼイションは何度聴いても飽きないという所が、ジャズが飽きない理由といえそうだ。



■ぼくが最初にジャズを聴いた頃 〜 ジャズ本での最初のつまづき

 ぼくがジャズに興味を持ちはじめたきっかけはマイルス・デイヴィスの「枯葉」だった。高校生の頃だ。
 聴いたきっかけは、もらったコンピレーションの中に入っていたからで、これを聴いたのがジャズをいいと思いはじめた最初だった。もちろんそれ以前にもラジオなどから流れてくるジャズを耳にしたことはあったが、意識して聴いたのはそれが最初だった。
 気に入ったので、この「枯葉」について調べてみた。と、これはキャノンボール・アダレイの『Somethin' Else』というアルバムに入ってる演奏で、リーダー名義はキャノンボールだが、実際にはマイルス・デイヴィスがリーダーといっていい演奏だと書いてあった。たしかに聴いていて印象に残ったのはサックスではなくトランペットのほうだったから、書いてある通りなんだろうと思った。それで、このマイルスという人のアルバムをもっと聴いてみたいと思った。
 さて、ではこのマイルス・デイヴィスという人、まずどのアルバムを聴けばいいのだろうかと当時のぼくは考えた。
 こういった場合、「枯葉」が気に入ったのなら素直に『Somethin' Else』を聴けばいいと思う人もいるかもしれない。しかし高校時代のぼくにとってアルバムを聴くというのは、レンタルするにしろ買うにしろけっこうな出費だった。当然コストパフォーマンスは最重要に考えなければならない。ところが『Somethin' Else』というアルバムには数曲しか曲が入ってなく、中でも目玉はこの「枯葉」らしい。ところがその「枯葉」は既に聴いている。だとすれば目玉をすでに聴いてしまっている『Somethin' Else』より、より大きな発見を期待して別のアルバムを聴くほうが、コストパフォーマンス的にずっと有効だと思った。
 ということで、でも、どれを聴けばいいのかわからないから、ぼくは本屋でジャズ関係の本を立ち読みして見当をつけることにした。
 そういうことを当時のぼくは、例えばロックなどで未知のバンドを聴くときにやっていた。よく知らないバンドに興味を持ち、どれかアルバムを聴いてみたいと思ったときに、本屋でそんな関係の本を立ち読みすると、たいていそのバンドの代表作としていくつかのアルバムが紹介されていたので、そのへんから見当をつけて聴いていくわけだ。ぼくはマイルスに対してもその方法でいけると考えた。
 ところがここでぼくのジャズ本に対する疑いとつまづきが始まる。
 そのとき本屋で見たのがどの本だったか忘れてしまったが、その本でマイルス・デイヴィスについて書かれたところを見たところ、たしかに名盤と呼ばれるアルバムは紹介されているのだが、あれも名盤、これも名盤、こっちも名盤、あっちも名盤、どれもこれも名盤という感じで、まるで名盤のバーゲン・セールだった。これじゃあ、どれから聴いたらいいのか、まったくわからない。
 その後、このようなジャズ本に書かれている「名盤」というのがまったくアテにならないもので、決して信じちゃいけないものであることをぼくは知ることになるのだが、そのときのぼくにはまだわからなかった。
 だいたいぼくはその時立ち読みしていただけで、熟読する気はない。音楽は自分で聴いて理解するもので活字の解説で理解するものじゃないと思っていたから、そんな本を熟読するより、とりあえずアルバムを聴いてみたかったわけだ。それで最初の心づもりでは、たぶん本を見れば代表作と呼ばれるアルバムが何枚か紹介されているはずだから、それをおぼえておいて、店へ行って実物を見て、どれから聴くか決めようと思っていた。
 しかし、こうも名盤のバーゲンセールではおぼえるわけにもいかない。どうしたらいいんだろうと思いながら見ていくと、途中であることに気づいた。それは「Cookin'」「Relaxin'」など「……in'」という現在進行形のタイトルのアルバムが何枚もあることだった。
 何枚もあるんだから、このへんがポピュラーなんじゃないかと思った。それに第一おぼえやすい。だから、この「……in'」というアルバムから聴いてみようと思った。
(さらに、今考えれば、このときの紹介本にはマイルスのキャリアの最初から「名盤」を次々に紹介していたので、「ing」四部作あたりまで読んだときに、当時のぼくは疲れてしまい、「これでいいやっ!」と思ったんじゃないかと思う)
 そしてぼくは店に行き「……in'」というアルバムを探してみた。
 ……あった。
 まず、どれにしようか……、と思い、当時のぼくは『Waikin'』というアルバムを選んだ。その理由は、古臭い信号機がただ写っているだけという単純きわまりないジャケットが、いままでそこまで何も考えてないようなジャケットのアルバムというのを見たことが無かったもので、かえって新鮮に見えたからだ……。

 さあ。ジャズを少しでも知ってる人なら、当時のぼくが既にいくつかの間違いを犯していたことに気づかれただろう。

 そう。まず、『Waikin'』というアルバムは、タイトルに「ing」こそ付いているが、いわゆる「ing」四部作ではない。その二年ほど前に録音されたアルバムである。そして、ぼくはより重要な点だと思うのだが、この二年の差がかなり大きいということだ。
 つまり、もしジャズ初心者にマイルスのアコースティック・ジャズのアルバムを紹介するのなら、それはコルトレーン入りのクインテットを組んだ以後のものにすべきだと思うのだ。もちろんそれ以前のアルバムがクズばかりだというつもりはない。でも、バンド・サウンドの完成度や親しみやすさから考えて、初心者に最初に勧めるのなら1956年以後のものがいいと思う。
 そして、最初に『Waikin'』を手にとってしまって聴いた当時のぼくの印象をいうと、つまらないとまでは思わなかったが、「枯葉」と比べて何だか古ぼけた音楽という印象で、イマイチ親しめなかった。それでしばらくジャズを聴くのをやめて別の音楽を聴くことになる。
 そうして、少し時がたってから人に勧められてビル・エヴァンスの『Waitz for Debby』を聴く機会があって、そのへんから本格的にジャズを聴き始めていくことになった。

 ぼくは思うのだが、あのとき本屋で立ち読みしたジャズ本がもっとちゃんとしたものだったら、ぼくはもっと早くジャズを聴き始めていたと思う。逆にその後にビル・エヴァンスを人に勧められなかったら、ジャズ入門はずっと遅れていたかも、あるいはあのまま聴かずにいたかもしれない。
 ということは、あのようなジャズ本に引っかかって、ジャズを聴いてもいいはずの者が、聴かないまま終わってしまっているということは、けっこうあるんじゃないか。
 あの時ぼくが見たジャズ本のどこに問題があったのだろうか? これはけっこう多くのジャズ本に共通する問題点だと思うのだが、初心者から見た視点というのを欠いていたということだ。けれど、この手の本を読んでジャズを紹介されたいと思う読者というのはたいてい初心者や入門者が多いのだから、本来その視点を意識して書いてもらわないと困る。
 たとえばマイルスであれば、初心者の視点に立って、もしマイルスのアルバムを聴くのなら、このあたりから聴いてはどうかという代表作を取捨選択し、手際よく紹介するのが本来のこの手の本の使命ではないのか。それをマイルスのキャリアの最初から書き始めて、あれも名盤、これも名盤といって書いていったのでは、初心者は迷うばかりだ。たしかにマイルスの'56年以前のアルバムにもそれなりに聴きどころのあるアルバムはあるだろうし、マイルスの音楽人生を語る上で重要なアルバムもあるだろう。でも、初心者から見て最初に手を出すべきアルバムはどれかという視点に立てば、そのへんは後回しにしてかまわないアルバムだ。
 だいたいジャズ評論家のなかにはナントカの一つおぼえみたいにマイルスをホメてさえいればいいと思っているのが大勢いて、マイルスのアルバムは全部聴く価値があるなどと言いたがるので困りものだ。実際はマイルスのアルバムは玉石混合なんで、選んで買わないとヘンなものを掴まされる可能性が大きい。つまり、1955年以前にはかなりいい加減なアルバムをたくさん作っているし、あるいは『Big Fun』のように本来リリースすべきでない音源がリリースされてしまっている場合も多く、晩年もまたいい加減なアルバム作りをした作品がある。やはり初心者には「まずこのあたりから聴いたら?」というものを選んで勧める必要がある。
 それに例えば「ing」四部作を全部紹介してしまうような態度にも問題がある。もちろんこの四作はとくにどれが突出して優れ、どれが劣るということもないものだろう。でも初心者がはじめから全部を聴く必要はない。初心者にとってジャズの聴きはじめの期間というのは、いわばお試し期間なのだから、最初はいろいろなタイプのジャズを試しに聴いてみて、好きになったあたりからじょじょに聴いていけばいい。そうして限られた予算と時間のなかからバランスよくいろんなアルバムを聴いていこうとするなら、最初から「ing」四部作を全部なんて聴く必要はない。つまりこういった紹介本なら、そのうち一作紹介するだけで充分だし、あるいは一作も紹介せずに同時期の別のアルバムを紹介したっていいはずだ。
 さらにはマイルスのアルバムでまずギル・エヴァンスと一緒に作ったものを紹介した本も見かけたことがあるのだが、それも問題だろう。あれらはむしろギル・エヴァンスの作品といったほうがいいんじゃないかという理由もあるが、それ以前に、これからジャズを聴いてみたいと思っている入門者に、いきなりオーケストラをバックにした編曲モノを聴かせてどうするんだ。まず最初はオーソドックスなスモール・コンボによる作品から紹介するのがスジではないか。
 そういった視点からマイルスの、例えばアコースティック時代のアルバムの代表的なものを初心者に紹介するなら、おそらく片手で数えられる程度のアルバムに絞れるはずだ。そしてそれで充分であり、そのほうが親切なはずだ。もしそれらのアルバムを聴いて、その人がマイルスを好きになったなら、放っておいたって他のアルバムにも手を出していくはずなんだから。
 どうもジャズ評論家という人はやたらにジャズの歴史を語りたがったり、膨大なコレクションを自慢したがったり、自分の趣味嗜好に走りたがる人が多いように思える。もちろんそうしてもかまわないが、初心者にとってはそれはまったく必要のない、むしろ迷惑な知識でさえあるという視点をどこかで持っていないといけないんじゃないかと思う。どうもぼくがつまづいてきたジャズ本の多くは、そこをカン違いしてしまった人が書いたもののような気がする。
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by Fee-fi-fo-fum | 2009-05-25 00:57 | 役に立たないJazz入門

報告。

 ひとまず、これまでここに書いてきたことを『ウェイン・ショーターの部屋』(http://www.bekkoame.ne.jp/~echika/wayne/wsindex.html)のほうにアップしました。
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by Fee-fi-fo-fum | 2009-05-25 00:55

■Wayne Shorter "Copenhagen 1990 feat. Larry Coryell"  (MEGADISC)


「Disc-1」
01、Sanctuary
02、Footprints
03、The Three Marias

「Disc-2」
04、Virgo Rising
05、Pinocchio 〜 On the Milky Way Express
06、Endangered Species

    Wayne Shorter (ts,ss) Larry Coryell (g)
    Jim Beard (key) Jeff Andrews (b)
    Ronny Barrage (ds)       
         Live at Jazzhus Montmarter, Copenhagen  1990.10.7


 これはブートCDRで、音質はきわめて良く、文句無しのオフィシャル並み、収録時間は90分ほど。このままオフィシャル化してもらいたい、必聴モノのライヴだ。
 上記のとおりラリー・コリエルと共演ライヴだが、冒頭で「ウェイン・ショーター・クインテット」と紹介されているので、ショーターのバンドにコリエルが加わったかたちだろう。
 ぼくは本来有名ミュージシャンどうしの共演が必ずしも良い結果をもたらすとは限らないと思っている。とくにソリストどうしの共演となると、たんに交互にソロをとってるというだけで、別に一緒に聴いたからといってどうなんだ? と言いたくなる場合も多い。
 しかしこの共演は凄い! しょっぱなからショーターのサックスにからみついてくるコリエルのギターを聴いて、相性の良さにゾクッとする。
 コリエルは主にアコースティック・ギターを使っていて、アンサンブルの部分では目立たないきらいはあるが、シブくて魅力的な音色だ。ベアードもソロでは主にアコースティック・ピアノの音に近いキーボードを弾いているし、バンドそのものも基本的にはフュージョン/エレクトリック・ジャズでありながら、みょうにアコースティックな雰囲気を感じるサウンドになっている。躍動感には欠けるかわりに、アコースティック・ジャズ的なくつろぎというのか、そういった感触をうける。
 注目すべきはショーターのサックスの音に対して対話的に応じてくるのが共演歴が長いベアードよりむしろコリエルであるところだ。コリエルはソロ・スペースで即興演奏を繰り広げるだけでなく、演奏全体のなかを自由に泳ぎまわって、さまざまな楽器と対話している。コリエルが加わったことで演奏全体の対話性が増している。
 もちろんコリエルのソロも充分に良い。好ましいのはコリエルという人がクールに燃え上がるタイプのギターリストである点だ。ショーターとギターリストが共演する場合、サンタナのような熱血系であるより、このようなクール系のほうが合う気がする。それにしても、オフィシャル化されたサンタナとの共演ライヴと聴き比べるにつけ、オフィシャル化してほしいのはむしろ本作のような演奏だと思わずにいられない。
 もちろんショーターの演奏もアタマからゾクゾクするほどいいし、ベアードも本作ではかなりいいソロをとっている。いまにも不吉なことがおこりそうな不気味さに満ちた "Sanctuary" はこの曲のベスト・トラックではないだろうか。
 たんに有名ミュージシャンが二人同時にステージに乗ってます的な共演ではなく、1+1が3にも4にもなる共演とはこういうものを言うのだろう。
 70年代からこっち、自分のバンドにギターリストは加えなかったショーターが、1996年のバンドにギルモアを加えたのはどういう心境の変化だったんだろうと思っていたが、この共演が上手くいったからじゃないかと考えるのは考えすぎだろうか。
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by Fee-fi-fo-fum | 2009-05-13 01:34 | Wayne Shorter

■Carlos Santana & Wayne Shorter Band "Live at the 1988 Montreux Jazz Festival"  (Liberation)


「Disc-1」
01、Spiritual
02、Peraza
03、Shh...
04、Incident at Neshabur
05、Elegant People
06、Percussion Solo
07、Goodness and Mercy
08、Sanctuary

「Disc-2」
09、For Those Who Chant
10、Blues for Salvador
11、Fireball 2000
12、Drum Solo
13、Ballroom in the Sky
14、Once It's Gotcha
15、Mandela
16、Deeper, Dig Deeper
17、Europa
18、Bonus Track: Inerviews with Carlos Santana, Wayne Shorter & Claude Nobs

    Wayne Shorter (ts,ss) Carlos Santana (g)
    Patrice Rushen, Chester D.Thompson (key)
    Alphonso Johnson (b) Leon "Ndugu" Chancler (ds)
    Armando Peraza (per) Chepito Areas (timb)
                           1988.7.14
 
 1988年に行われたショーターとサンタナのツアーから、モントルーでのライヴ音源がオフィシャル化された。上はCD版の曲目だがDVDも出ている。演奏時間は120分強で、ほかボーナストラックとしてインタビューが3分ほど入っている。
 メンバーは上記のとおりサンタナのバンドにショーターがゲスト参加したかたちだが、パトリス・ラッシェン、アルフォンゾ・ジョンソンなどショーターゆかりの顔もあり、ツイン・キーボードに打楽器3人の8人編成という大所帯のグループだ。
 先に出回っていたこのツアーからのブート盤より音質・バランス共に大きく向上し、とくに音質は文句なしの高音質で、まず感激した。しかしショーターのサックスの音はオフ気味なのは変わらず、サンタナのギターはおろか、キーボードの音より小さく聴こえ、聴いていて哀しくなる。
 さて、聴いた感想だが、そんなバランスの問題をおいておくとしても、複雑な心境だ。
 いくらバランスがオフ気味といっても、ショーターの見せ場はたっぷりとある。曲によってはサンタナのソロがない、完全にショーター中心の曲もある。だから、たぶん80年代後半のショーター・バンドのライヴ盤が聴きたくても手に入らなかった頃にこれを聴いたのなら喜んで愛聴していたかもしれない。
 しかし、ブート盤とはいえ同じ88年のショーター・バンドのライヴが高音質で聴ける現在となってしまっては、正直いってこのバンドのライヴは、88年ショーター・バンドのライヴよりかなり見劣りがする。
 8人編成の大所帯ではグループ間での対話を重視した演奏は難しく、編曲に頼った演奏となる。そこが既にショーター的ではない。それでもこのバンドの演奏は躍動感があってサンタナのバック・バンドとしては充分だ。けれど、ショーターのバック・バンドとして聴くとサウンドがわかりやすすぎ、安定感がありすぎて、スリルや緊張感が感じられないのだ。たぶん和声的な単純さが原因ではないだろうか。
 とはいっても、先述したとおりショーターの見せ場はある。しかしショーターの見せ場とサンタナの見せ場は別々で、けっきょく交互に自分の演奏をしているだけで、共演することによって生まれてくる何かというものは感じられない。それでは、そもそも一緒にライヴをやる意味ってあったんだろうかとも思えてくる。
 大物どうしの顔合わせなんてそんなものだと言う人もいるかもしれないが、この後の1990年のラリー・コリエルとの共演ライヴでの緊密な対話性をもった演奏の見事さを聴いてしまうと、それに比較して本作がよけい不満足なものに聴こえてくる。
 オフィシャルで出してもらったものにあまりケチはつけたくないし、ショーターの見せ場はあるのだからそれでいいじゃないかともわりきれればいいのだけれど、やはり本作と比べると88年のショーター・バンドや90年のコリエルとの共演ライヴのほうがずっと魅力的に聴こえてしまうのは否定できない。
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by Fee-fi-fo-fum | 2009-05-13 01:32 | Wayne Shorter

Toninho Horta "Diamond Land"

■Toninho Horta "Diamond Land"    (Verve Forecast)

02、Ballad for Zawinul

   「02」
   Wayne Shorter (ss) Toninho Horta (g)
   Jim Beard (key) Iuri Popoff (b)
   Kenwood Dennard (ds)        1987リリース


 すばらしく気持ちのいい音楽だ。ブラジルの熱い陽光と木々のあいだを抜けてくる涼風がスピーカーから流れ込んでくるよう。
 トニーニョ・オルタはミルトン・ナシメントのバックでギターを弾いていたギターリストであり、彼のギターに惚れ込んだパット・メセニーの勧めもあって自己のリーダー名義でインストゥルメンタルのみのアルバムを作るようになった。全編にわたってオルタの軽やかなギターが駆け抜けていく、でもジャズとは違った感触で、ブラジル音楽的な編曲もなされている、こういう音楽を何とジャンル分けをすればいいのだろうか? でも、そんなことを考えるのもばかばかしくなるほどひたすら心地良い世界だ。自分の好みだけで言わせてもらえば、ぼくはパット・メセニーよりもオルタのギターのほうが好きだ。
 さて、ショーターとオルタの共演はミルトン・ナシメントの『Milton』(76) 以来であり、一曲だけの参加となる。タイトルを見ればザヴィヌルに捧げた曲のようだ。参加メンバーもこの曲だけ Jim Beard や Kenwood Dennard といったショーターゆかりのミュージシャンが加わっているのだが、アルバムを通して聴いてみるとそれほど違和感はなく他の曲にとけ込んでいる。
 ショーターはほぼ全編にわたってソロを繰り広げているが、そうはいっても4分ほどの曲であり、ショーターめあてに聴くアルバムではないだろうとは思う。でも、このアルバムは大好きだし、こんなアルバムになら一曲だけの参加も大歓迎だ。
 一曲一曲をどうということなく、一つの流れで全曲を聴いていたくなるアルバムである。なんだか聴いていると、人生がこんなふうに流れていってくれたらいいのにな……と思えてくる。
 しかし現実は甘くない。たった四十数分でアルバムは終わってしまう。
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by Fee-fi-fo-fum | 2009-05-13 01:32 | Toninho Horta

■Wayne Shorter "Live at Montreux 1996"  


01、On the Milky Way Express
02、At the Fair
03、Over Shadow Hill Way
04、Children of the Night
05、Endangered Species

    Wayne Shorter (ts,ss) David Gilmore (g)
    Jim Beard (p, key) Alphonso Johnson (b)
    Rodney Holmes (ds)        1996.7.8

「Bonus Tracks」

Introduction by Quincy Jones
06、Footprints
07、On the Milky Way Express

    Wayne Shorter (ts,ss) Herbie Hancock (p,key)
    Stanley Clark (b) Omer Hakim (ds)   1991

Introduction by Quincy Jones
08、Pinocchio
09、Pee Wee / The Theme

    Wallace Roney (tp) Wayne Shorter (ts,ss)
    Herbie Hancock (p) Ron Carter (b)
    Tony Williams (ds)             1992


 1996年のショーター・バンドのライヴが遂にオフィシャルでDVDとしてリリースされた。
 モントレーでのライヴであり、ボーナス・トラックとして91年のスーパー・カルテット期と、92年のトリビュート・トゥ・マイルス期のライヴの映像が一部づつ入っている。
 収録時間は、アナウンスやテロップの時間を省いた正味の演奏時間でいくと、96年のライヴが55分ほど、91年が26分弱、92年が20分ほど。中心となる96年のライヴの時間がモントレーのライヴのためか短めなのは不満点ではあるが、まずはこのバンドのライヴがオフィシャル化されたという快挙を喜びたい。画質・音質は当然のように完璧だ。
 まず96年部分から聴いていこう。
 7月8日の演奏なので『Live Express』の二日前のライヴであり、選曲でみれば初のオフィシャルにふさわしい、この時期のショーター・バンドの魅力を充分に伝えるナンバーが揃っているように見える。でも5曲でたったの計55分という点でわかるとおり、それぞれが充分な長さで演奏されているとはいえない。「01」「02」「03」という『High Life』収録曲はどれも10分を超える演奏ではあるのだが、"Over Shadow Hill Way" は8分、"Endangered Species" に至っては5分にも満たないショート・バージョンだ。この時期のショーター・バンドの演奏の魅力は物語的展開をもった編曲と即興演奏の融合にあるので、1曲10分を超えるくらいの充分な長さで演奏してこそ本当の魅力がわかる。それでも高速度で駆け抜ける "Over Shadow Hill Way" はこれはこれで満足できる演奏だが、"Endangered Species" は正直物足りない演奏だ。
 対して『High Life』収録曲のほうはどれも充分に堪能できる。とくに『Copenhagen 1996』では途中でフェイド・アウトしてしまっていた "Children of the Night" が完全収録されていることがうれしい。
 とはいえ、やはり計55分という演奏時間はこのバンドの魅力を充分味わいきるには不充分な内容だと思う。"Pandora Awakened" や "Virgo Rising" など未収録の名曲もある。やはり『Live Express』や『Copenhagen 1996』も合わせて聴きたいところだ。

 続いて91年のスーパー・カルテットでの演奏だが、正直このバンドのライヴはこんなふうにボーナス・トラックとして一部だけ入れるのではなく、完全版としてオフィシャル化してもらいたいところだ。このバンドの演奏はCDでもオフィシャルでは手に入らないのではないか。まあ、高音質のブート盤がいろいろ出ているので困ることはないが、もし同じ音源がオフィシャルとブートで出ていたら、たとえ値段が高かったとしてもオフィシャルを買うぐらいの倫理観はもっているつもりだ。
 でも、ここに収録されて良かったとおもう点は、同じエレクトリック・ジャズのスタイルでの演奏でありながら、96年のショーター・バンドとはかなり違う演奏なので、96年のバンドの特徴を浮き彫りにする役割を果たしているのではないかということだ。
 つまり、96年のショーター・バンドの演奏は展開のある編曲性と即興演奏の融合が特徴となっているが、スーパー・カルテットの演奏ではそのような点はあまり見られず、ただ各メンバーのソロを順番に聴かせていく演奏になっている。つまりエレクトリック楽器を使ったジャズそのものだ。
 この違いを聴くことで、96年のショーター・バンドが普通のエレクトリック・ジャズとは違うものを目指したバンドだったことがわかる。

 続いて92年のライヴ部分だが、このバンドの演奏は既にオフィシャルでCDがリリースされているのでそう新鮮味はない。それにメンバーからいってVSOPの再現みたいなものなので、さらに新鮮味はない。
 とはいえトランペットが抜けたカルテットで演奏される "Pee Wee" はCDでは未収録だし、映像がオフィシャル化されたのも初めてかもしれない。
 91年と合わせてボーナス・トラック部分はそれぞれのバンドでの演奏のうちショーター作の曲か、ショーターの見せ場の演奏をセレクトしているようで、それはそれで満足して聴くことはできる。
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by Fee-fi-fo-fum | 2009-05-10 00:47 | Wayne Shorter