『ウェイン・ショーターの部屋』(http://www.bekkoame.ne.jp/~echika/wayne/wsindex.html)の別館です。


by Fee-fi-fo-fum

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■ミシェル・マーサー『フットプリンツ 評伝ウェイン・ショーター』  (潮出版社)


 ウェイン・ショーターの評伝としては最初の本なのだが、なんだか全面的に賞賛はしたくない気分にさせられる本だ。
 ぼくの場合(というか、ほとんどの人にとってもそうだと思うが)ウェイン・ショーターに対する興味は彼が生み出した音楽という点にあって、彼がどんな人生を送ってこようが、どんな宗教を信じてようが、どんな人と親しかろうが、基本的にはどうでもいい。彼の音楽を理解する上で必要な程度書かれていればそれでいい。一方、彼の生み出した音楽に関してはできるだけ多くのことが知りたい。
 しかし、この本の作者の興味は、ぼくとはかなり違うところにあるようだ。どんな有名人と親しいか詳しく書いてあるし、とくに宗教関係のことはやたら詳しく書いてある。それでいて、ショーターの生み出してきたアルバムの数々については、ごく簡単にしか触れられてないものが多い。
 音楽活動についても、例えばサンタナとのツアーなど、べつに一章をさいて書くほどのものでもないだろうと思うところが詳しく書いてあって、もっと詳しく書いてほしい部分が書かれていない。
 もちろん評伝なんだから人生のアウトラインを書いていくものなんだろうが、もっとショーターの音楽の本質に切り込んでいく視点はあってほしいし、彼自身の音楽と直接関係のないことは抑えて書いていくくらいのバランス感覚がほしいと思う。
 作者の音楽に対する意見にもあまりうなずけない点が目立つ。
 とはいえ、否定する気にもなれない。
 とくに最初のあたりを読めば筆者のショーターに対するインタビューは困難を極めるものであったのは容易にわかるし、ショーターに過去のアルバムに対する解説を求めてもきちんと答えてなんてくれないだろうということもよくわかる。不充分とは思っても、よくここまで聞き出してくれたと感謝すべきなのかもしれない。
 それに、なんだかんだいっても、この本を読んで初めてわかったことも多い。例えばプラグド・ニッケルのライヴなど、どうしてあのような演奏になったのかは、この本を読んで初めてわかった。
 それと、改めて気づかされたのはショーターのクラシックに対する傾倒の深さだ。
 実はぼく自身、以前はほとんど聴かなかったクラシックを、最近になって聴きはじめているのだが、そういった耳で聴くと『Atlantis』以後のアルバムはむしろクラシックの流れで聴くべきアルバムではないかという気もしてきている。このへんの紹介文は書き直す必要がありそうだ。

 それにしても、長時間インタビューができたのなら、作者が理解できなくてもいいから、ショーターが言った言葉をそのまま書いくことをもっとしてほしかった。作者には理解できなくても、読者には理解できるショーターの言葉もあるはずだ。
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by Fee-fi-fo-fum | 2009-06-20 06:39 | Wayne Shorter


(役に立たないジャズ入門・6)

■録音日という怪 


 ジャズを聴きはじめた頃は、いろいろ奇妙に思うところがあった。いままでロックやら他のポピュラー音楽を聴いてきた人間がジャズに出合ったときに感じるカルチャー・ショックみたいなものだ。
 そういった点を少し書かせてもらう。

 ぼくがジャズを聴きはじめて単純に驚いたことの一つは、アルバムに「録音日」というものが書いてあるということだった。
 つまり、ぼくがそれまで聴いていたロックなどのポピュラー音楽はアルバムを一枚作るのには数カ月かけるのが普通だった。そして一人のミュージシャン、一つのバンドがアルバムを出す場合、一年に一枚も出ればむしろ順調で、一枚出るまでに数年かかることもめずらしくはない。
 しかしジャズの場合、一枚のアルバムの録音日として○年○月○日と日付まで書いてあり、さらには一日でアルバム2〜3枚を録音してしまう場合さえあり、一人のジャズマンが一年で何枚ものリーダー作をリリースしている場合も多い。
 正直、それでだいじょうぶなんだろうかと当時のぼくは思った。そんなに安易にアルバムを作ってしまっていいもんだろうか、ジャズってそんなに安易な音楽なんだろうか……と。
 でも、現在ではジャズのように一日でアルバム一枚を録音してしまう録音方法のほうが、むしろ正しいんじゃないかとおもっている。
 その理由を説明してみよう。

 その前に、まず前置きしておきたいのは、上のような感想を抱いたのはぼくがジャズを聴く前にロックなどのポピュラー音楽を聴いていたからだろう。つまり、それまでクラシックを聴いていたのだったら、そんな感想は抱かなかっただろう。なぜならクラシックでも、一日でアルバム一枚を録音するような録音方法は、むしろ普通だからだ。
 そしてロックだってR&Bだって、時代を遡っていけば昔はそういう録音方法をしていたのである。
 それは一発録り、ワン・テイクで録音してしまう方法だ。
 つまり、録音日前に楽曲をあらかじめ用意しておき、録音当日にスタジオ入りしたらバンドの全員が同時にスタンバイし、普段ライヴで演奏しているように一曲を演奏し、それを録音したとしたら、例えば5分の曲を録音するのに5分しかかからない。もちろん誰かが演奏をミスしたり、イマイチの演奏だったら録り直しということになるだろう。しかしバンド全員が高い演奏力をもち、誰もミスせずに一発で最高の演奏ができたとしたら、録り直しもほとんど必要ではなく、用意した曲を次々に録音していくことができる。アルバムの一枚分なんて数時間あれば簡単に録音できる計算になるわけだ。
 では逆に、現在のポピュラー音楽では、何でアルバム一枚を作るのに何カ月もかかったりするんだろうか。
 それは、誤解されることを恐れずに非常に単純化して言えば、ワン・テイクのライヴと同じ状況では必ずしも思った通りに完璧な自分の音楽を演奏ができるわけではない演奏者が、自分の実力以上の作品を作り出そうとするからではないか。というより、果たして音楽を生みだしているのが演奏者かどうかわからないというのが、現在のポピュラー音楽の作り方だろう。
 つまり、1960年代末か70年代に入ったあたりからスタジオの録音技術が一気に向上した。バンドによって演奏された音楽を録音するだけではなく、バンドの各メンバーの演奏を別々に録音して、自由なバランスで組み合わせることによってバンド・サウンドを生み出すこともできるようになった。そうなると、誰かがミスすれば全員で最初からやり直さねばならなかった以前の録音方法に比べて、一人だけがやり直せばいいし、あるいはミスした箇所だけを修正することも可能になった。あるいは、必ずしも歌が上手くないボーカリストに同じ曲を何十回も歌わせて、それぞれの録音のいい所だけを切って繋ぎ合わせて一つの曲にするなど、ツギハギで音楽を作ることも可能になった。そうなると、そのようなツギハギ作業を行って最終的に音楽を完成させるプロデューサーと呼ばれる人が音楽作りの中心になり、演奏家はというと、そのプロデューサーにツギハギをするための素材を提供する人となってきている……というのが現在のポピュラー音楽の作り方の主流ではないか。つまりユニットの顔となるボーカリストなどはルックスや声が良ければそれでよく、たとえまともに歌えなくたって、優秀なプロデューサーが付けばなんとかなる……というのは、現在のポピュラー音楽では常識ではないか。
 もちろん現在のポピュラー音楽の演奏者がみんなまともに演奏できない者ばかりだなどと言うつもりはない。しかし、たとえ演奏者がきちんと演奏ができる技術を持っていたとしても、その演奏が作品化される間にはプロデューサーの力が大きく入り込んでいるのが現在のポピュラー音楽の録音方法の主流ではないか。
 そして現在のポピュラー音楽でアルバム作りに何カ月もかかるのは、そうやって各楽器ごとに時には何十回も録音を繰り返し、そうして録音されたもののなかから良いものを選択して、絶妙のバランスで組み合わせることによって、スタジオでサウンドを作り出していく……という作業に時間がかかるからではないだろうか。だから、ジャズやクラシックのように、みんなで一緒に演奏して、その演奏を録音するだけ、という録音方法よりはるかに時間がかかるのではないだろうか。
 では、そのような高度なスタジオ作業によって音楽を作り出すポピュラー音楽の録音方法は優れたものであり、ジャズやクラシックのような一発録りで一日でアルバム一枚を録音してしまう録音方法は安易なものなのだろうか。
 決してそんなことは無いというのが、現在のぼくの考えだ。
 まず、ジャズやクラシックのようなワン・テイクで録音してしまう方法は決して安易ではない。なぜなら、ワン・テイクでミスなく全曲を演奏でき、しかも自分の音楽を100%表現できるような技術と表現力を身につけた演奏者というのは、その演奏力を身につけるためにどれだけの練習と経験を積み重ねてきたかを考えなければならない。つまり、ジャズのミュージシャンが一日でアルバム一枚を録音したとしても、それは音楽的才能に恵まれた演奏者が膨大な練習をして演奏力を磨いてきた後の、たった一日なのである。たった一日の録音で長く聴きつがれるような優れたアルバムが録音された裏には、その演奏力を身につけるまでにどれだけの時間が費やされてきたかを考えなければならない。
 対して、現在のポピュラー音楽のような録音方法なら、たとえば街でタレント性のあるルックスと声のいい子を見つけてきたら、まともにボーカル・レッスンすら受けたことがない子だったとしても、プロデューサーの手腕さえ優秀ならすぐに、それなりに聴けるアルバムを作ることができる。たしかに録音そのものには時間はかかるだろうが、安易というならどちらのアルバム作りが安易なのかは言うまでもない。
 では、そんなスタジオ機能をフルに使わなければきちんとした演奏ができない者ではなく、充分な実力のある演奏者が数カ月かけてアルバムを作った場合はどうだろう。つまり、一日でもアルバム一枚を録音できるようなミュージシャンが、あえて数カ月かけてアルバム作りをした場合、それは一日で録音するよりも、より時間をかけたぶんだけ優れたアルバムが作れるのだろうか……。
 かならずしもそうとも言えないというのが、現在のぼくの考えだ。
 というのは。もしそんな時間をかけた高度なスタジオ作業がポピュラー音楽の質を向上させるものだとしたら、スタジオの技術が飛躍的に向上していった1970年代半ばあたりから、ポピュラー音楽の質も飛躍的に向上し、優れたアルバムが次々に生まれていなければおかしい。そして、例えば同じロックでも、高度なスタジオ技術によって生まれた70年代後半以後のロック・バンドのアルバムの素晴らしさに対して、スタジオの録音技術が未発達だった60年代の、例えばビートルズやストーンズなどのアルバムは、質が低くて現在では聴けたもんじゃないという評価になって、人気が下落していなければおかしいだろう。
 では、そうなっているだろうか? ぼくが見たところ、なっていないどころか現実はむしろ逆ではないかと思う。60年代からせいぜい70年代前半頃のロックは永遠といっていい人気を保持する一方で、70年代後半以後は現在でも聴かれるような名盤の数はむしろ減っていて、一時期人気を呼んだアルバムでも時期が過ぎると、むしろ60年代の古いロックより先に人気が下落していく傾向がある気がする。それはスタジオでの録音方法だけが原因とはいえないが、少なくともスタジオ録音の技術が向上したぶんほど、アルバムの質が飛躍的に向上はしてはいない。むしろ高度な録音技術によってツギハギされ、計算されたサウンドで高い完成度に達した作品は、むしろ早めに聴き飽きてしまい、長い生命力を保持できないという傾向があることがハッキリしてきている気がする。
 なんでそうなのかはわからないのだけど、大抵のばあい音楽というものは、時間をかけてツギハギしながら傷のない完成度の高い作品を作り出したというものより、充分な実力をもった演奏者が一度きりの演奏で生み出したもののほうが、長く聴き続けられる魅力にあふれたものになるようだ。
 時間をかけたスタジオでのツギハギ作業で長く聴きつづけられる音楽を生み出すことは、一度の演奏で長く聴きつづけられる音楽を生み出すことよりも、かえって難しい事なんじゃないかと、現在では思っている。
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by Fee-fi-fo-fum | 2009-06-13 01:40 | 役に立たないJazz入門