『ウェイン・ショーターの部屋』(http://www.bekkoame.ne.jp/~echika/wayne/wsindex.html)の別館です。


by Fee-fi-fo-fum
(役に立たないジャズ入門・2)

■「名盤」を信じるな。

 初心者がジャズにつまづく大きな原因の一つは「名盤」ではないかと思う。じっさいぼくもジャズを聴きはじめた頃、やたらとある「名盤」や「有名盤」に苦しまされた。
 つまり、誰だってジャズを聴きはじめる頃は自分で判断する力がないから、とりあえず勧められたものも聴いてみるところから始めるしかない。そして普通の感性の人なら「名盤」ときくと、それは傑作であり、聴いておもしろい作品であり、ぜひ聴くべき作品だと誤解してしまうんじゃないか。それで「名盤」なんてものに手を出してしまう人も多いんじゃないか。
 しかしジャズにおける「名盤」は実はそうでもない。もちろん聴いても良い「名盤」も中にはある。しかし聴いたってどこがおもしろいのかわからない、そしてそう感じるのがむしろ当然な「名盤」も数多くある。「ジャズ史上の名盤」だと聞いて、そのアルバムを聴いてみて、どこがおもしろいのかわからなくて、ジャズっていうのは自分には縁のない音楽じゃないかとおもってジャズを聴くのをやめてしまう人だって、けっこういるんじゃないだろうか。そんな罪深い存在が「名盤」ではないか。
 では「名盤」とは何なのか、なぜ「名盤」と呼ばれるのか。

 ぼくが考えるに、ジャズの世界で「名盤」と呼ばれるものには、例えば次のような種類がある。そして、それぞれに問題を含んでいるのだ。
 それを一つづつ説明してみたいと思う。

1、いわゆる「歴史的名盤」。
2、ジャズ喫茶から生まれた名盤。
3、希少性など、特定の価値で語られる名盤。
4、ジャズ・ジャーナリズムによって作られた名盤。



1、いわゆる「歴史的名盤」

 まずは「歴史的名盤」というやつだ。これはまず聴いてもつまらない率が高い。
 ではなぜ「歴史的名盤」なんてものが生まれるのか。どうもジャズ評論家のなかにはジャズの歴史を語りたがる人が多いような気がする。入門者向けのはずのジャズ本などでも、そもそものジャズのおこり、ジャズの歴史などから書き起こしているものもけっこう見たことがある。入門者にそんなことを語って何の意味があると思っているのかわからないが。
 もちろんジャズを楽しむのにジャズの歴史なんて知る必要はないし、ジャズを理解できない人がジャズの歴史を知ることでジャズが楽しめるようになるもんでもない。ロックを楽しむのにロックの歴史なんて知らなくてもいいのと同じだ。もちろんジャズの歴史に興味をもってもいいし、それはそれで調べればおもしろいものかもしれないが、それはジャズを楽しむのとは別の行為だろう。
 しかしなぜかジャズの歴史を語りたがるジャズ評論家が多いとすれば、ジャズの歴史を語るうえで欠かせないアルバム、つまり「歴史的名盤」というものが出てくる。それは歴史の分岐点となったアルバムであったり、ある時代を象徴するアルバムであったりする。
 でも、逆にいえばそれはジャズの歴史を語るうえで欠かせないというだけで、聴いておもしろいとは限らない。それに、べつにジャズを楽しむのにジャズの歴史を知る必要もないし、語る必要もないことから考えれば、結局は聴かなくてもいいアルバムだ。
 でも、なかには聴いてもおもしろい「歴史的名盤」というのもないことはないから、多少の注意は必要なのだが。


2、ジャズ喫茶から生まれた名盤

 次にジャズ喫茶から生まれた名盤というものがある。
 ジャズ喫茶というのは日本独特の文化だったようだ。もっとも現在ではほとんど姿を消していると思うので一応説明しておくと、ジャズ喫茶というのは大量のジャズのアルバムを揃えた喫茶店で、コーヒーなど注文しながらリクエストすればそのアルバムを聴かせてくれる。あるいは店のほうでかけたアルバムを聴く……といったもの。
 もともと数十年前の日本では本場のジャズマンの演奏をライヴで聴ける機会がほとんどなく、LPも高価で、そう気軽に買えるものではなかった。そのためこういった店が発達したのだろう。もちろんジャズばかりではなくクラシックを聴かせる名曲喫茶やポップスを聴かせる店もあったようだ。
 さて、このジャズ喫茶から生まれた名盤というのは、そんなジャズ喫茶で特に数多くリクエストされたことで有名になり、名盤と呼ばれるようになったものだ。ということで歴史的名盤のように頭デッカチのものではないんで、ジャズを聴いて楽しむための名盤としてハズレの少ないもののように一見おもえる。
 けれど、聴いているうちに、どうもこの「ジャズ喫茶の名盤」というのにもヘンなバイアスがかかっているのがわかってきた。
 それは、ジャズ喫茶の名盤というのは一流のジャズマンによる大傑作といったものは少なく、たいていはB級の、でも味のあるアルバムといったものがほとんどだということだ。
 ぼくはそうなるのも納得できる気はする。どんなジャンルであれ、ある程度年期の入ったファンというのは、誰もが知ってる有名人を支持するより、いわゆる「通」しか知らないような、しかし味のある人を支持したりしたがるもののようだ。例えば映画俳優でいえば、誰でも知ってる主演俳優より、悪役として数シーン出てくるだけの怪優を好きになったりする。
 たしかにそれは「通」の行き方として普通なのかもしれない。いままで光があたることのなかった無名なアルバムのなかから自分で「意外な名盤」を見つけだすことにもよろこびがあるものだ。
 そして、そんなファンのあいだで、自分が見つけたお気に入りを語り合っているだけなのなら何の問題もない。だが、そんなふうにしてジャズ喫茶から有名になったアルバムをジャズの入門者・初心者に勧めるとなると問題も出てくる。
 つまり、まだジャズを聴きはじめでジャズの魅力も充分にわかっているとはいえない入門者に勧めるのなら、B級のアルバムを勧めるより、まずは一流の名演を勧めるべきだ。そのほうがわかりやすいし、それでこそジャズを聴く耳ができてくるものであり、B級の味を知るのはその後でいいんじゃないか。


3、希少性など、特定の価値で語られる名盤。

 ぼくが初心者だった頃よく騙された、聴いて「なんだこれ?」度が高い名盤・有名盤が、いわゆる「希少盤」というやつだ。
 希少盤というのは、リリース当初LPがなかなか手に入らない、その希少性によって有名になったアルバムだ。現在では再発されて簡単に手に入るものも多い。
 そもそも欲しくてもなかなか手に入らない希少性というのは、何倍にも価値があるように感じさせるものだ。現在のブランド商品の商法や行列が出来る店の商法、「限定品」なんていうのも、この効果を狙ったものだろう。そのためなかなか手に入らない希少盤というのものは話題に出ることが多くなり、有名になり、それをようやく手に入れられたファンはいままでの苦労のためにその価値が何倍もに感じれて賞賛することもあるだろう。
 しかし、それは希少性そのものが生み出した価値であり、例えばブランドのバックなんかもみんなが欲しがるから自分も欲しいと思うのであり、誰も欲しがらないバックなら自分も欲しくないという面もある。この「多くの人が求めているが少数の人しか手に入らない」という状況が感じさせる価値というのは、再発されて誰もが簡単に手に入るようになってしまうと「なんだこれ」ということにもなりがちだ。
 けれど、多くの人が求めたのなら、それはもともとそのアルバムにそれだけの価値があるということじゃないかと思う人がいるかもしれない。けれど、そうでもない。
 だいたいジャズ・ファンにはコレクターが多い。そしてコレクターのよろこびというのは、他人が持っていないものを自分は持っているというところにあって、ヘタをすると中身なんて関係ない場合もある。
 それに希少盤とはなぜ希少なのかというと、それは売れなかったのですぐ廃盤になり、少数の枚数しか出回ってないからだろう。なぜ売れなかったのかというと、まず大抵の場合はその程度の内容だったからじゃないだろうか。もちろん中には優れた作品が理解されずに売れなかったという場合もあるだろうが、パーセンテージからすればつまらないから売れなかった場合のほうがはるかに多いだろう。
 実際ぼくはジャズを聴きはじめた頃、よく本にジャケ写が載ってるアルバムを中古屋などで見つけて、これはよく本で見るから良いアルバムなのかなと思って聴いてみると、「なんじゃこれ?」だったり「べつに、普通じゃん」だったりして、よく本を見返してみるとそれがかつて希少盤として有名だったアルバムだと書いてあったことがよくあった。たしかに希少価値がある頃にようやく入手して聴いた人には感激のアルバムだったのかもしれないが、再発されて誰にでも入手できるようになってしまうと、それほどのものでもなかったりする。

 さらにいえば、アルバムの出荷数が少ないという希少性のほかに、そのジャズマンがごく少数のアルバムしか出していないという希少性というのもある。ジャズマンが夭折したか、あるいはごく短い活動期間の後、さまざまな理由で現役を離れてしまった、あるいは活動期間は長くてもリーダー作の録音の機会に恵まれなかったというものもある。
 となると、そのごく少数のアルバムに人気が集中するので、実際はそれほどの内容でなくても、そのアルバムが有名になったりする。逆に順調な活動をしてアルバムを多数出したジャズマンの場合、アルバムがたくさん出ているためにありがたみがなくなって、個々のアルバムがあまり話題にならないという現象がおきてくるようだ。
 いずれにしろ、希少性みたいなものが反映された批評はアテにならないものが多い。


4、ジャズ・ジャーナリズムによって作られた名盤

 以上の3つを含めた上で思うことは、いわゆる「名盤」というもののほとんどは、最初はさまざまな理由・状況で名をあげられるようになったものが、ジャズ・ジャーナリズムの内で安易に引用・増幅されていくなかで、「名盤」として一人歩きして定着してしまったものではないかということだ。
 このジャズ・ジャーナリズム内での安易な引用と増幅というのが問題だ。
 ジャズを聴きはじめてしばらくたったファンなら、ジャズ本というのはジャズなんてまったく聴いてなくても書けそうだと思うものだ。つまり、ジャズを聴きはじめて数年もたてば、いろいろなジャズ紹介の本が、実はどれも同じようなアルバムばかりを名盤として紹介しているに過ぎない、みんなが褒めている名盤をみんなと同じように褒めているに過ぎないものが多いということに気づくからだ。これならジャズのアルバムをたくさん聴いて自分の耳で優れたアルバムを見つけださなくたって、過去に書かれたジャズ本を見て、そこに書かれた「名盤」のなかから適当なものをピックアップして並べていけばジャズ本なんて簡単に書けそうだ。もちろん全部がそうだとはいわないが、その程度のものでしかないジャズ本を多く見てきたというのが実感だ。
 実際、紹介の内容が一人歩きしているような現象も目につく。あるアルバムについて誰かがあることを書くと、別人が他の場所でそれをそのまま引き写したような批評を書いているのを目にしたりする。この場合、最初に書いた誰かが的確なことを書いているのならまだいいのだが、けっこういい加減なことを書いていてもそのまま引き写されるから始末がわるい。いい加減な批評・間違った批評が一人歩きして増殖し、まるでそれが定説であるかのようになってしまう。虚像ばかりが膨らんでいき、事実が覆い隠されてしまう。誰かが「王様は裸だ」と指摘しなければいけないはずなのに、誰もそれをしない。
 歴史的名盤にしても、ジャズ喫茶の名盤にしても、最初にそのアルバムの名があがった時の状況においては意味のあったアルバムなのだろう。しかし、どっかの本に載っていたアルバムだからと、後のジャズ・ジャーナリズムが安易に真似して紹介しつづけていくと、最初にあった意味を忘れられてしまう。
 つまり、歴史的名盤はジャズの歴史を語る上で便利なアルバムなのであって、聴いておもしろいアルバムというわけではない。
 ジャズ喫茶の名盤は、かつて日本のジャズ喫茶に集まったジャズ通たちが見つけたアルバムであって、初心者に勧めるべきアルバムとはかぎらない。
 希少盤はコレクターたちのあいだで有名なアルバムであって、聴いておもしろいかどうかは別問題だ。
 そういった名盤を、ただ有名だから、みんながホメているからと真似して安易にピックアップして、入門者・初心者に紹介してしまうようなジャズ評論家は信用すべきではない。
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# by Fee-fi-fo-fum | 2009-05-25 01:01 | 役に立たないJazz入門
(役に立たないジャズ入門・1)


■序

 ジャズを聴き始めた頃から、ずっと不満に思い、不思議に思っていた事がある。それはジャズに関するあまりいい入門書とか、そういった本の類に出会ってないということだ。
 未知のジャンルの音楽を聴きはじめる時には、とりあえず本とか、あるいは周囲に詳しい人がいればその意見とかを頼りにするものだろう。ぼくの場合も最初はそんなかんじだった。でもなんだかジャズの場合、そういった入門書の類に参考にならないものとか、ヘンなバイアスがかかっているものが多い。それはぼくがたまたま運悪くそういったものばかりに引っかかってきたということなんだろうか? でも、どうもジャズに関する入門書は、例えばクラシックとかロックとか、そういった別ジャンルの音楽の本にくらべても役に立たないものが多い気がする。
 そんなわけでこの項は、いままで読まされてきたジャズ本への恨みや不満を書きながら、最終的にはまだジャズを聴き始めだった頃のぼくに勧めたいと思うような、自分なりのジャズ入門にしていくことを目指したいと思う。
 でも、ジャズを聴き始めた頃のぼくがそれまでのジャズ入門を役に立たないとおもったように、ぼくがこれから書くジャズ入門も他人にとっては役に立たないもののような気もする。だから『役に立たないジャズ入門』というタイトルで書きはじめてみる。



■ぼくがジャズを聴きはじめた理由 〜 なんでジャズを聴くのか?

 と、いっておいていきなり何だが、まずはジャズ入門というところから外れて、ぼくがジャズを聴き始めた頃のことを書いてみたい。

 ぼくは何でジャズを聴きはじめたのか? それは、それまで聴いてきた音楽に飽きてきたからだ。そしてそれは多分ジャズを聴きはじめる理由としてはけっこうあるものなんじゃないかと思う。
 ぼくも最初はテレビやラジオからよく流れてくるタイプのポピュラー音楽から聴きはじめた。ロックとかポップス、ソウルとかR&Bとか、つまりそういったボーカル入りの3〜5分ていどで終わる音楽だ。そういったものは親しみやすいし、メロディをおぼえて口ずさむことも簡単にできる。
 でもぼくはわりと最初から、ヒットしている曲を聴くというよりは、自分の好きな音楽は探し出してでも聴きたいし、好きでないものはどんなにヒットしていても聴かないタイプのリスナーだった。ロックを聴けば、自分が生まれる前に流行っていたようなロック、ビートルズやストーンズなども聴いていたし、新しい発見がしたくていろいろなタイプのロック、プログレやら、パンクやら、ハードロックやら、いろいろ聴いてみた。そうすることによってドキドキするような新しい発見があったし、自分の価値観も変わってきて楽しかった。
 でも、そうやって聴きまくっていると、しまいには新しい発見は無くなってきてしまうものだ。つまりはロックやソウルなどで、自分が好きな部分はだいたいわかってしまったわけだ。もちろん完全に理解したとは思わないし、聴いたことのないアルバムはまだまだいくらでもあったけれど、ドキドキするような新しい発見をすることは目立って少なくなってきた。つまり聴いていないアルバムでも、だいたいこういった音楽だろうと予想がつくようになってきてしまった。だいたい単純な構成で3〜5分で終わるポップソングというのは、親しみやすいかわりに飽きやすい。
 それでも自分が好きなタイプの音楽をただ聴きつづけるという選択もあるんだろうが、ぼくはまだまだ新しい発見をしたかった。それならどうすればいいのか。新しいジャンルの音楽を聴いてみることだろうと思った。それでぼくは、それまでほとんど聴いたことがなかったジャズという音楽を聴きはじめたわけだ。

 ちなみに、いまでもこの判断は間違っていなかったと思う。
 つまり、ポップソングを聴き飽きた人がいたら、たぶんその人が聴くべき音楽はジャズかクラシックというのが正解ではないか。
 先にも書いたとおり、ポップソングというのは構成も単純で3〜5分で終わる程度のものなので、親しみやすいかわりに飽きやすい。対してクラシックは構成がはるかに複雑であるため、親しみにくいかわりに、理解できてくれば奥深くて飽きることがない。ジャズの場合、インプロヴィゼイション(即興演奏)というのは聴いていても飽きない。これは何故そうなのかというと、実はよくわからないのだけれど、実体験として飽きないといえる。つまり、ジャズの場合でも何度も聴いていれば編曲された部分やサウンドは飽きてくる。でもインプロヴィゼイションの演奏は何度聴いても飽きないのだ。これはぼくだけがそうなのではなく、聞いてみるとみんなそうらしい。何故そうなのかはわからないのだけれど、このインプロヴィゼイションは何度聴いても飽きないという所が、ジャズが飽きない理由といえそうだ。



■ぼくが最初にジャズを聴いた頃 〜 ジャズ本での最初のつまづき

 ぼくがジャズに興味を持ちはじめたきっかけはマイルス・デイヴィスの「枯葉」だった。高校生の頃だ。
 聴いたきっかけは、もらったコンピレーションの中に入っていたからで、これを聴いたのがジャズをいいと思いはじめた最初だった。もちろんそれ以前にもラジオなどから流れてくるジャズを耳にしたことはあったが、意識して聴いたのはそれが最初だった。
 気に入ったので、この「枯葉」について調べてみた。と、これはキャノンボール・アダレイの『Somethin' Else』というアルバムに入ってる演奏で、リーダー名義はキャノンボールだが、実際にはマイルス・デイヴィスがリーダーといっていい演奏だと書いてあった。たしかに聴いていて印象に残ったのはサックスではなくトランペットのほうだったから、書いてある通りなんだろうと思った。それで、このマイルスという人のアルバムをもっと聴いてみたいと思った。
 さて、ではこのマイルス・デイヴィスという人、まずどのアルバムを聴けばいいのだろうかと当時のぼくは考えた。
 こういった場合、「枯葉」が気に入ったのなら素直に『Somethin' Else』を聴けばいいと思う人もいるかもしれない。しかし高校時代のぼくにとってアルバムを聴くというのは、レンタルするにしろ買うにしろけっこうな出費だった。当然コストパフォーマンスは最重要に考えなければならない。ところが『Somethin' Else』というアルバムには数曲しか曲が入ってなく、中でも目玉はこの「枯葉」らしい。ところがその「枯葉」は既に聴いている。だとすれば目玉をすでに聴いてしまっている『Somethin' Else』より、より大きな発見を期待して別のアルバムを聴くほうが、コストパフォーマンス的にずっと有効だと思った。
 ということで、でも、どれを聴けばいいのかわからないから、ぼくは本屋でジャズ関係の本を立ち読みして見当をつけることにした。
 そういうことを当時のぼくは、例えばロックなどで未知のバンドを聴くときにやっていた。よく知らないバンドに興味を持ち、どれかアルバムを聴いてみたいと思ったときに、本屋でそんな関係の本を立ち読みすると、たいていそのバンドの代表作としていくつかのアルバムが紹介されていたので、そのへんから見当をつけて聴いていくわけだ。ぼくはマイルスに対してもその方法でいけると考えた。
 ところがここでぼくのジャズ本に対する疑いとつまづきが始まる。
 そのとき本屋で見たのがどの本だったか忘れてしまったが、その本でマイルス・デイヴィスについて書かれたところを見たところ、たしかに名盤と呼ばれるアルバムは紹介されているのだが、あれも名盤、これも名盤、こっちも名盤、あっちも名盤、どれもこれも名盤という感じで、まるで名盤のバーゲン・セールだった。これじゃあ、どれから聴いたらいいのか、まったくわからない。
 その後、このようなジャズ本に書かれている「名盤」というのがまったくアテにならないもので、決して信じちゃいけないものであることをぼくは知ることになるのだが、そのときのぼくにはまだわからなかった。
 だいたいぼくはその時立ち読みしていただけで、熟読する気はない。音楽は自分で聴いて理解するもので活字の解説で理解するものじゃないと思っていたから、そんな本を熟読するより、とりあえずアルバムを聴いてみたかったわけだ。それで最初の心づもりでは、たぶん本を見れば代表作と呼ばれるアルバムが何枚か紹介されているはずだから、それをおぼえておいて、店へ行って実物を見て、どれから聴くか決めようと思っていた。
 しかし、こうも名盤のバーゲンセールではおぼえるわけにもいかない。どうしたらいいんだろうと思いながら見ていくと、途中であることに気づいた。それは「Cookin'」「Relaxin'」など「……in'」という現在進行形のタイトルのアルバムが何枚もあることだった。
 何枚もあるんだから、このへんがポピュラーなんじゃないかと思った。それに第一おぼえやすい。だから、この「……in'」というアルバムから聴いてみようと思った。
(さらに、今考えれば、このときの紹介本にはマイルスのキャリアの最初から「名盤」を次々に紹介していたので、「ing」四部作あたりまで読んだときに、当時のぼくは疲れてしまい、「これでいいやっ!」と思ったんじゃないかと思う)
 そしてぼくは店に行き「……in'」というアルバムを探してみた。
 ……あった。
 まず、どれにしようか……、と思い、当時のぼくは『Waikin'』というアルバムを選んだ。その理由は、古臭い信号機がただ写っているだけという単純きわまりないジャケットが、いままでそこまで何も考えてないようなジャケットのアルバムというのを見たことが無かったもので、かえって新鮮に見えたからだ……。

 さあ。ジャズを少しでも知ってる人なら、当時のぼくが既にいくつかの間違いを犯していたことに気づかれただろう。

 そう。まず、『Waikin'』というアルバムは、タイトルに「ing」こそ付いているが、いわゆる「ing」四部作ではない。その二年ほど前に録音されたアルバムである。そして、ぼくはより重要な点だと思うのだが、この二年の差がかなり大きいということだ。
 つまり、もしジャズ初心者にマイルスのアコースティック・ジャズのアルバムを紹介するのなら、それはコルトレーン入りのクインテットを組んだ以後のものにすべきだと思うのだ。もちろんそれ以前のアルバムがクズばかりだというつもりはない。でも、バンド・サウンドの完成度や親しみやすさから考えて、初心者に最初に勧めるのなら1956年以後のものがいいと思う。
 そして、最初に『Waikin'』を手にとってしまって聴いた当時のぼくの印象をいうと、つまらないとまでは思わなかったが、「枯葉」と比べて何だか古ぼけた音楽という印象で、イマイチ親しめなかった。それでしばらくジャズを聴くのをやめて別の音楽を聴くことになる。
 そうして、少し時がたってから人に勧められてビル・エヴァンスの『Waitz for Debby』を聴く機会があって、そのへんから本格的にジャズを聴き始めていくことになった。

 ぼくは思うのだが、あのとき本屋で立ち読みしたジャズ本がもっとちゃんとしたものだったら、ぼくはもっと早くジャズを聴き始めていたと思う。逆にその後にビル・エヴァンスを人に勧められなかったら、ジャズ入門はずっと遅れていたかも、あるいはあのまま聴かずにいたかもしれない。
 ということは、あのようなジャズ本に引っかかって、ジャズを聴いてもいいはずの者が、聴かないまま終わってしまっているということは、けっこうあるんじゃないか。
 あの時ぼくが見たジャズ本のどこに問題があったのだろうか? これはけっこう多くのジャズ本に共通する問題点だと思うのだが、初心者から見た視点というのを欠いていたということだ。けれど、この手の本を読んでジャズを紹介されたいと思う読者というのはたいてい初心者や入門者が多いのだから、本来その視点を意識して書いてもらわないと困る。
 たとえばマイルスであれば、初心者の視点に立って、もしマイルスのアルバムを聴くのなら、このあたりから聴いてはどうかという代表作を取捨選択し、手際よく紹介するのが本来のこの手の本の使命ではないのか。それをマイルスのキャリアの最初から書き始めて、あれも名盤、これも名盤といって書いていったのでは、初心者は迷うばかりだ。たしかにマイルスの'56年以前のアルバムにもそれなりに聴きどころのあるアルバムはあるだろうし、マイルスの音楽人生を語る上で重要なアルバムもあるだろう。でも、初心者から見て最初に手を出すべきアルバムはどれかという視点に立てば、そのへんは後回しにしてかまわないアルバムだ。
 だいたいジャズ評論家のなかにはナントカの一つおぼえみたいにマイルスをホメてさえいればいいと思っているのが大勢いて、マイルスのアルバムは全部聴く価値があるなどと言いたがるので困りものだ。実際はマイルスのアルバムは玉石混合なんで、選んで買わないとヘンなものを掴まされる可能性が大きい。つまり、1955年以前にはかなりいい加減なアルバムをたくさん作っているし、あるいは『Big Fun』のように本来リリースすべきでない音源がリリースされてしまっている場合も多く、晩年もまたいい加減なアルバム作りをした作品がある。やはり初心者には「まずこのあたりから聴いたら?」というものを選んで勧める必要がある。
 それに例えば「ing」四部作を全部紹介してしまうような態度にも問題がある。もちろんこの四作はとくにどれが突出して優れ、どれが劣るということもないものだろう。でも初心者がはじめから全部を聴く必要はない。初心者にとってジャズの聴きはじめの期間というのは、いわばお試し期間なのだから、最初はいろいろなタイプのジャズを試しに聴いてみて、好きになったあたりからじょじょに聴いていけばいい。そうして限られた予算と時間のなかからバランスよくいろんなアルバムを聴いていこうとするなら、最初から「ing」四部作を全部なんて聴く必要はない。つまりこういった紹介本なら、そのうち一作紹介するだけで充分だし、あるいは一作も紹介せずに同時期の別のアルバムを紹介したっていいはずだ。
 さらにはマイルスのアルバムでまずギル・エヴァンスと一緒に作ったものを紹介した本も見かけたことがあるのだが、それも問題だろう。あれらはむしろギル・エヴァンスの作品といったほうがいいんじゃないかという理由もあるが、それ以前に、これからジャズを聴いてみたいと思っている入門者に、いきなりオーケストラをバックにした編曲モノを聴かせてどうするんだ。まず最初はオーソドックスなスモール・コンボによる作品から紹介するのがスジではないか。
 そういった視点からマイルスの、例えばアコースティック時代のアルバムの代表的なものを初心者に紹介するなら、おそらく片手で数えられる程度のアルバムに絞れるはずだ。そしてそれで充分であり、そのほうが親切なはずだ。もしそれらのアルバムを聴いて、その人がマイルスを好きになったなら、放っておいたって他のアルバムにも手を出していくはずなんだから。
 どうもジャズ評論家という人はやたらにジャズの歴史を語りたがったり、膨大なコレクションを自慢したがったり、自分の趣味嗜好に走りたがる人が多いように思える。もちろんそうしてもかまわないが、初心者にとってはそれはまったく必要のない、むしろ迷惑な知識でさえあるという視点をどこかで持っていないといけないんじゃないかと思う。どうもぼくがつまづいてきたジャズ本の多くは、そこをカン違いしてしまった人が書いたもののような気がする。
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# by Fee-fi-fo-fum | 2009-05-25 00:57 | 役に立たないJazz入門

報告。

 ひとまず、これまでここに書いてきたことを『ウェイン・ショーターの部屋』(http://www.bekkoame.ne.jp/~echika/wayne/wsindex.html)のほうにアップしました。
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# by Fee-fi-fo-fum | 2009-05-25 00:55

■Wayne Shorter "Copenhagen 1990 feat. Larry Coryell"  (MEGADISC)


「Disc-1」
01、Sanctuary
02、Footprints
03、The Three Marias

「Disc-2」
04、Virgo Rising
05、Pinocchio 〜 On the Milky Way Express
06、Endangered Species

    Wayne Shorter (ts,ss) Larry Coryell (g)
    Jim Beard (key) Jeff Andrews (b)
    Ronny Barrage (ds)       
         Live at Jazzhus Montmarter, Copenhagen  1990.10.7


 これはブートCDRで、音質はきわめて良く、文句無しのオフィシャル並み、収録時間は90分ほど。このままオフィシャル化してもらいたい、必聴モノのライヴだ。
 上記のとおりラリー・コリエルと共演ライヴだが、冒頭で「ウェイン・ショーター・クインテット」と紹介されているので、ショーターのバンドにコリエルが加わったかたちだろう。
 ぼくは本来有名ミュージシャンどうしの共演が必ずしも良い結果をもたらすとは限らないと思っている。とくにソリストどうしの共演となると、たんに交互にソロをとってるというだけで、別に一緒に聴いたからといってどうなんだ? と言いたくなる場合も多い。
 しかしこの共演は凄い! しょっぱなからショーターのサックスにからみついてくるコリエルのギターを聴いて、相性の良さにゾクッとする。
 コリエルは主にアコースティック・ギターを使っていて、アンサンブルの部分では目立たないきらいはあるが、シブくて魅力的な音色だ。ベアードもソロでは主にアコースティック・ピアノの音に近いキーボードを弾いているし、バンドそのものも基本的にはフュージョン/エレクトリック・ジャズでありながら、みょうにアコースティックな雰囲気を感じるサウンドになっている。躍動感には欠けるかわりに、アコースティック・ジャズ的なくつろぎというのか、そういった感触をうける。
 注目すべきはショーターのサックスの音に対して対話的に応じてくるのが共演歴が長いベアードよりむしろコリエルであるところだ。コリエルはソロ・スペースで即興演奏を繰り広げるだけでなく、演奏全体のなかを自由に泳ぎまわって、さまざまな楽器と対話している。コリエルが加わったことで演奏全体の対話性が増している。
 もちろんコリエルのソロも充分に良い。好ましいのはコリエルという人がクールに燃え上がるタイプのギターリストである点だ。ショーターとギターリストが共演する場合、サンタナのような熱血系であるより、このようなクール系のほうが合う気がする。それにしても、オフィシャル化されたサンタナとの共演ライヴと聴き比べるにつけ、オフィシャル化してほしいのはむしろ本作のような演奏だと思わずにいられない。
 もちろんショーターの演奏もアタマからゾクゾクするほどいいし、ベアードも本作ではかなりいいソロをとっている。いまにも不吉なことがおこりそうな不気味さに満ちた "Sanctuary" はこの曲のベスト・トラックではないだろうか。
 たんに有名ミュージシャンが二人同時にステージに乗ってます的な共演ではなく、1+1が3にも4にもなる共演とはこういうものを言うのだろう。
 70年代からこっち、自分のバンドにギターリストは加えなかったショーターが、1996年のバンドにギルモアを加えたのはどういう心境の変化だったんだろうと思っていたが、この共演が上手くいったからじゃないかと考えるのは考えすぎだろうか。
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# by Fee-fi-fo-fum | 2009-05-13 01:34 | Wayne Shorter

■Carlos Santana & Wayne Shorter Band "Live at the 1988 Montreux Jazz Festival"  (Liberation)


「Disc-1」
01、Spiritual
02、Peraza
03、Shh...
04、Incident at Neshabur
05、Elegant People
06、Percussion Solo
07、Goodness and Mercy
08、Sanctuary

「Disc-2」
09、For Those Who Chant
10、Blues for Salvador
11、Fireball 2000
12、Drum Solo
13、Ballroom in the Sky
14、Once It's Gotcha
15、Mandela
16、Deeper, Dig Deeper
17、Europa
18、Bonus Track: Inerviews with Carlos Santana, Wayne Shorter & Claude Nobs

    Wayne Shorter (ts,ss) Carlos Santana (g)
    Patrice Rushen, Chester D.Thompson (key)
    Alphonso Johnson (b) Leon "Ndugu" Chancler (ds)
    Armando Peraza (per) Chepito Areas (timb)
                           1988.7.14
 
 1988年に行われたショーターとサンタナのツアーから、モントルーでのライヴ音源がオフィシャル化された。上はCD版の曲目だがDVDも出ている。演奏時間は120分強で、ほかボーナストラックとしてインタビューが3分ほど入っている。
 メンバーは上記のとおりサンタナのバンドにショーターがゲスト参加したかたちだが、パトリス・ラッシェン、アルフォンゾ・ジョンソンなどショーターゆかりの顔もあり、ツイン・キーボードに打楽器3人の8人編成という大所帯のグループだ。
 先に出回っていたこのツアーからのブート盤より音質・バランス共に大きく向上し、とくに音質は文句なしの高音質で、まず感激した。しかしショーターのサックスの音はオフ気味なのは変わらず、サンタナのギターはおろか、キーボードの音より小さく聴こえ、聴いていて哀しくなる。
 さて、聴いた感想だが、そんなバランスの問題をおいておくとしても、複雑な心境だ。
 いくらバランスがオフ気味といっても、ショーターの見せ場はたっぷりとある。曲によってはサンタナのソロがない、完全にショーター中心の曲もある。だから、たぶん80年代後半のショーター・バンドのライヴ盤が聴きたくても手に入らなかった頃にこれを聴いたのなら喜んで愛聴していたかもしれない。
 しかし、ブート盤とはいえ同じ88年のショーター・バンドのライヴが高音質で聴ける現在となってしまっては、正直いってこのバンドのライヴは、88年ショーター・バンドのライヴよりかなり見劣りがする。
 8人編成の大所帯ではグループ間での対話を重視した演奏は難しく、編曲に頼った演奏となる。そこが既にショーター的ではない。それでもこのバンドの演奏は躍動感があってサンタナのバック・バンドとしては充分だ。けれど、ショーターのバック・バンドとして聴くとサウンドがわかりやすすぎ、安定感がありすぎて、スリルや緊張感が感じられないのだ。たぶん和声的な単純さが原因ではないだろうか。
 とはいっても、先述したとおりショーターの見せ場はある。しかしショーターの見せ場とサンタナの見せ場は別々で、けっきょく交互に自分の演奏をしているだけで、共演することによって生まれてくる何かというものは感じられない。それでは、そもそも一緒にライヴをやる意味ってあったんだろうかとも思えてくる。
 大物どうしの顔合わせなんてそんなものだと言う人もいるかもしれないが、この後の1990年のラリー・コリエルとの共演ライヴでの緊密な対話性をもった演奏の見事さを聴いてしまうと、それに比較して本作がよけい不満足なものに聴こえてくる。
 オフィシャルで出してもらったものにあまりケチはつけたくないし、ショーターの見せ場はあるのだからそれでいいじゃないかともわりきれればいいのだけれど、やはり本作と比べると88年のショーター・バンドや90年のコリエルとの共演ライヴのほうがずっと魅力的に聴こえてしまうのは否定できない。
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# by Fee-fi-fo-fum | 2009-05-13 01:32 | Wayne Shorter